昇り竜
庭の木の下の落ち葉が積もった場所に妙なキノコが生えていた。
白くてぐにゃっとしてる…持った感じはしっかりしててキクラゲっぽい。
直感で「食えるな」と思ったけど、理性が働いて止めておいた。
図書館でキノコ図鑑を借りてきて見たらわかった。
その名も「ノボリリュウタケ」。西洋料理に合い美味、と書いてある。
ほれみろやっぱり!
食べてみたいけど、1-2本しかないのでそのままにしておいた。
自分ちの庭に昇り竜なんて景気がいい。たくさん増えないかな。

白くてぐにゃっとしてる…持った感じはしっかりしててキクラゲっぽい。
直感で「食えるな」と思ったけど、理性が働いて止めておいた。
図書館でキノコ図鑑を借りてきて見たらわかった。
その名も「ノボリリュウタケ」。西洋料理に合い美味、と書いてある。
ほれみろやっぱり!
食べてみたいけど、1-2本しかないのでそのままにしておいた。
自分ちの庭に昇り竜なんて景気がいい。たくさん増えないかな。

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きらきらビーズ
きらきらビーズ 光ってきれい
きらきら きらきら
そのきらめきはとりとめがなく
そのかがやきはわたしを傷つける
もっとわたしを傷つけて
もっとわたしを苦しめて
きらきらビーズ きらきら きらきら ・・・
きらきら きらきら
そのきらめきはとりとめがなく
そのかがやきはわたしを傷つける
もっとわたしを傷つけて
もっとわたしを苦しめて
きらきらビーズ きらきら きらきら ・・・
庭の小菊
庭の花壇では小菊の花が満開だ。
うす紫、藤色、ピンク、濃い臙脂色など。
自分で植えた覚えはないのに咲いているのもあったり。
いつの間にやら庭が菊だけになると「秋だなぁ」と思う。
外から帰ってきて玄関脇の小菊の繁みを見るとホッと心が和む。
ここにこうして住んでるんだと妙にしみじみした気分になる。
菊の花が終われば、長い北の冬がやってくる。
うす紫、藤色、ピンク、濃い臙脂色など。
自分で植えた覚えはないのに咲いているのもあったり。
いつの間にやら庭が菊だけになると「秋だなぁ」と思う。
外から帰ってきて玄関脇の小菊の繁みを見るとホッと心が和む。
ここにこうして住んでるんだと妙にしみじみした気分になる。
菊の花が終われば、長い北の冬がやってくる。
貝殻ととんぼ玉の首飾り

久しぶりに新作アクセサリーアップしました。
画像クリックで作品ページへ飛べます。
自分でもかなり気に入ってるので、売れなかったら自分用にしようかな??と…
って、これはいけないんですよね税制上は。(「マルサの女」で言ってた)
拙作を並べたサイトはこちら。
小舟クラフト
カレーライス
カレーのCMが嫌いだ。
小奇麗な家で美人のお母さんが楽しげにカレーを作り、ホッと緩んだ顔のお父さんが家路を急いだりして。そういうのを見ると「早く帰って我が家のカレーをパクつくしか楽しみのないような男だな・・」と思ってしまう。野心・闘い・孤独などのキーワードとは無縁のただもう家庭大事の夫・父ですみたいな男。あーつまらん。ニコニコしてカレーを食べる男より怒ったような顔で黙々とラーメンを食べる男の方が私は好き。
カレーライスって妙に家庭的な食べ物。カレー=一家団欒、みたいな図式がすぐ浮かぶ。寺山修司は「ラーメンは闘う男の、カレーは保守的な男の食べ物」と書いた。同意。すごくわかる。
私だってカレーライスは好きだしうちでもよく作る。でも外ではよほどのことがない限り食べない。だって旅先や観光地でカレーを食べるなんてつまらないもの。なんだかありふれた日常生活に引き戻されてしまう気がする。
いま北海道はスープカレーを売り出そうとしている。美味しい野菜も肉も獲れるんだから路線は間違ってない。でも、カレー以外にもいろんな野菜煮込み料理があると思うのよ。ポトフだっていいし、そもそもシチューは決まったルールはないんだから北の大地のシチューとか銘打って、もっとオリジナルでいいと思う。(クリームシチューを売り出すなら、悩みの牛乳消費不足を解消するのにもってこいだ。)
でもカレーはどこまでいってもカレーじゃないかと思うのだ。多分親しみやすく大人から子供までわかりやすいってことなんだろうけど、それ以上でも以下でもないし。なんか夢がない気がするカレーじゃ。カレーがいろんな可能性のある料理だってことはもちろん認める。
国によって作り方も味も全く違うし。でもイメージが…例のCMのイメージが染み付いてしまってる食品だ。家族そろってみんなで仲良くカレーでニコニコ、っていう。それが不満なの。日常・安定感・保守的ってイメージがが不満。
カレーよりシチューやラーメンの方が創造的に思えるのだ。そもそも北海道はワイルドでナチュラルで夢のある北の大地ってイメージでしょう。旅すること自体が創造的な体験のはず。だからもっと夢のあるメニューをアピールして欲しいと思うのだ。
でもカレーうどんは好物なんだけどね。
小奇麗な家で美人のお母さんが楽しげにカレーを作り、ホッと緩んだ顔のお父さんが家路を急いだりして。そういうのを見ると「早く帰って我が家のカレーをパクつくしか楽しみのないような男だな・・」と思ってしまう。野心・闘い・孤独などのキーワードとは無縁のただもう家庭大事の夫・父ですみたいな男。あーつまらん。ニコニコしてカレーを食べる男より怒ったような顔で黙々とラーメンを食べる男の方が私は好き。
カレーライスって妙に家庭的な食べ物。カレー=一家団欒、みたいな図式がすぐ浮かぶ。寺山修司は「ラーメンは闘う男の、カレーは保守的な男の食べ物」と書いた。同意。すごくわかる。
私だってカレーライスは好きだしうちでもよく作る。でも外ではよほどのことがない限り食べない。だって旅先や観光地でカレーを食べるなんてつまらないもの。なんだかありふれた日常生活に引き戻されてしまう気がする。
いま北海道はスープカレーを売り出そうとしている。美味しい野菜も肉も獲れるんだから路線は間違ってない。でも、カレー以外にもいろんな野菜煮込み料理があると思うのよ。ポトフだっていいし、そもそもシチューは決まったルールはないんだから北の大地のシチューとか銘打って、もっとオリジナルでいいと思う。(クリームシチューを売り出すなら、悩みの牛乳消費不足を解消するのにもってこいだ。)
でもカレーはどこまでいってもカレーじゃないかと思うのだ。多分親しみやすく大人から子供までわかりやすいってことなんだろうけど、それ以上でも以下でもないし。なんか夢がない気がするカレーじゃ。カレーがいろんな可能性のある料理だってことはもちろん認める。
国によって作り方も味も全く違うし。でもイメージが…例のCMのイメージが染み付いてしまってる食品だ。家族そろってみんなで仲良くカレーでニコニコ、っていう。それが不満なの。日常・安定感・保守的ってイメージがが不満。
カレーよりシチューやラーメンの方が創造的に思えるのだ。そもそも北海道はワイルドでナチュラルで夢のある北の大地ってイメージでしょう。旅すること自体が創造的な体験のはず。だからもっと夢のあるメニューをアピールして欲しいと思うのだ。
でもカレーうどんは好物なんだけどね。