幻視人ジミー



ジミー大西の絵は私の好きなタイプの絵とは違うから、favoriteというよりrespectかもしれない。何かの機会に見かけるたびに、おおすげえ!!と思う。絵がわけのわからない奇声を発してるというか、ブードゥー教の呪い師が今まさにトランス状態に突入した場面に出くわしてしまったというか、ともかくわけがわかんないのにすごい。賢しらな批評や批判を跳ね飛ばしてしまう、はちゃめちゃなパワーと凄みがあると思う。こんな想像力いったいどこから沸いてくるのだろう。
それは精神の中からというより、もっと根源的な本能から生まれたというか。形にも言葉にもできない、表すとしたら叫びか絵にしかならない何かというか。ある一個の生命が「存在してる」という叫びそのもの、という気がする。うまく説明できないし、説明するような絵ではないと思う。ひとつだけもっともらしい感想を言うとすれば、色の使い方が、ともかくもうすごい。何にもとらわれていない。こんな色使いどうやって思いつくんだろう。

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澁澤龍彦がよく使ってた「幻視者」という言葉を思い出す。幻視者はその資質からのみ生まれるものなのだそうだ。職業素朴画だとか幻想画風テクニック絵が世に氾濫してるけど、ジミーの絵は正しく幻視者的資質から生まれた、本物の力強いアートだと私は思う。
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クマの写真



そういえばブログにクマの写真載せてなかったなぁと思って。
この写真は2002年の夏だと思う。この年の秋に当時使ってたパソがクラッシュして、中の画像もなくなってしまった。この画像はクマファンだったネットの友人が、メールで送ったのをとっていてくれたもの。

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2002年7月24日。同様に友人経由で戻った写真。ファイル名が変えてなかったので日付がわかった。去勢手術してすぐの時だ。撮った時のこともよく覚えている。花壇でパンジーの世話をしてたらクマがのこのこやってきて、何を思ったのか花壇の中に入り込み、パンジーの花の中に座った。花に囲まれて澄ましてる顔が噴出すほど可笑しくて、すぐカメラを持ってきて撮った。

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2003年9月11日。ツーショットは数えるほどしかなくて貴重な一枚。私が自分で手を伸ばして撮ったのでだいぶブレている。クマのうっとりした表情が笑える。本当に抱っこが大好きな猫で、私がPCの前に座ってるといつも「抱っこしてえり~」とやってきて、「お前が乗ってると何も出来ないじゃないのもう!」とブツブツいいながらも抱っこしつつパソしてたっけ。
ちなみに24日有元利夫の記事は、久しぶりにクマを膝に乗せながら書いた。すっかり軽く小さくなってたけど、いつものように頭を私の脇と胸の間に突っ込むポーズで丸くなってスヤスヤ寝ていた。その一時間後くらいに旅立ってしまった。

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この夏またPCがクラッシュ。前のことがあったから数ヶ月に一度はバックアップをとっていて、そろそろまたとらなきゃと思っている矢先だった。ちょうど同じ頃クマの容態が悪くて、一進一退を繰り返していた。このままクマに何かあったら…とはっきり考えたわけじゃないけど、約半年分のデジカメ写真のファイルをどうしてもあきらめきれず、数万かけてデータレスキューを頼んだ。しかし結果はまったく不満足なものだった。月ごとにフォルダに分けてあった画像データは、ぽろぽろ欠けてなくなっていた。それでもクマの思い出写真をいくらかは取り返せたから後悔はないけど。
でも、PCのデータがいかに脆いものかつくづく思い知った。バックアップの方法はいくらもあるけど、絶対にこれで安全というのはない。バックアップ用HDDを買ってコピーしたりDVD-Rに焼いたりもしたけど、大切な写真はアップするのが一番いいと思うようになった。思い出はいつも見ていられるのが一番いい。

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ステンドグラスのドロップシャンデリア



「ステンドグラスのドロップシャンデリア」
フレーム部分は銅ワイヤーとハンダで作った。既存の金具は使っていない。27枚のドロップはすべて種類の異なるガラス。ランバーツやフィッシャーなどのハンドロールが半分くらいと、大量生産品の波板ガラスなども入ってカジュアルな雰囲気にした。

最近ステンドを作ることはほとんどなくなっていた。ステンド工房にいた割には、重厚長大で重々しいステンドのランプは実はあまり好きではない。自分で作るものはできるだけ軽い感じのモノにしたい。ガラス同士をハンダでくっつけるのは止めにして、フレームもワイヤーで作った。ライトを仕込むと下げる場所が限定されるので、どこでも好きな場所に吊れるようサンキャッチャー・シャンデリアにした。そのため光の抜けがいいガラスを選んでいる。形はシャンデリア定番の逆円錐形。ガラスの美しさと楽しさをシンプルに楽しめたらいいと思う。

オリジナルクラフト制作 胡舟クラフト

汁かけご飯

汁かけご飯が好きだ。
汁かけごはんと上品に書いたけど「ぶっかけ飯」の方がニュアンスが近い。

子供のときご飯と味噌汁が一緒に出てくると、二膳目で父は味噌汁をバッとご飯にかける。おこうこ(漬物)が出てればそれも乗せて、食べる。やけに美味しそうに見えて私が真似しだすと、母はいつも嫌な顔をして「女中みたいな食べ方をして」と言った。(多分父のも苦々しく思ってたんだろうけど、私に向かって本心を言ったわけだ。)私は汁をかけた上に納豆でも焼きタラコでもなんでも混ぜたから、母には見苦しかったのかもしれない。

そうは言われても一度知った美味しさは忘れられない。作家の開高健氏がぶっかけ飯には食物の美味しさの髄が凝縮している、てなことを説いておられた。全く同感。実家にいる間は遠慮してたけど、結婚後はぶっかけ飯全面解禁にした。というより、我が家の定番メニューとして堂々独立させた。
まずは雑炊やおかゆといった汁物が好きでない夫の改造から。つみれ入り汁とか、鶏ガラスープ+豆板醤+胡麻油の中華風とかちょっと技あり汁を作って、食べる直前にご飯に注いでみせる。上から白髪ネギをパラパラ、あるいは紫蘇の実をパラパラ。どーだ、旨いだろう。今では雑炊ときくとパブロフの犬並に喜ぶ。

テレビドラマ「木枯らし紋次郎」にもぶっかけ飯はよく出てきた。山の茶屋でご飯を注文すると、茶碗飯と汁と漬物がちんまりと出てくる。その全てをご飯といっしょくたにし、箸を棒のようにつかんで荒く2、3回かき混ぜ、ろくに噛まないでガーッと流し込む。食事は1分くらいで終わる。食べた後天を仰いでああ、という表情をする。
これはあまり噛まないで飲み込むことにより、消化の時間を遅らせて少しでも長く食物を胃の中にとどめておこうとする知恵なのだそうだ。流れの渡世人はまともな食事を摂れることはめったにない。食べるイコール生きる、ということがリアルに感じられる、印象的な食事風景だった。

でもちゃんとかけ汁を作るのではなく、冷めた味噌汁をご飯にかける”正統派ぶっかけ飯”がいまだに好き。独りで昼ごはんを食べるときは、こっそりよくやっている。

死都



フェルナン・クノップフ「見捨てられた町(Une ville abandonnee)」 1904年

短い中に空想を掻き立てられる詩的な言葉というのがある、例えばノヴァーリス・青い花とか。「死都ブリュージュ」もそんな言葉。ブリュージュという美しい音韻を持つ街が”死の都”とは、なんと幻想的なイメージだろう。

私はそれがこの絵のタイトルなんだとずっと思っていたけど、あるとき調べたらそうではなかった。「死都ブリュージュ」はローデンバックの小説で、その扉絵に使われていたのがクノップフ「見捨てられた町」だった。クノップフがおそらくローデンバックの作品に触発されて、少年期まで住んでいたブリュージュを描いたのだと言われている。
それにしてもこの絵と死都ブリュージュというタイトルが一度セットで頭に入ると、もう分かちがたいほどにダブルで強い幻想イメージを発してくると思う。

絵は鉛筆とパステルで描かれている。1904年作という古さに驚く。とても現代的な感じがするから。建物の前の広場に静かにひたひたと水が寄せているのが見えて、それがなんとも終末的というかシュールな、夢幻的な雰囲気。時間もわからない。薄明の中に水明かりが微光を放っている。止まったような時間の中に、水だけがかすかに揺らいでいるような。

私は内田百の「冥土」と共通するものを感じる。百の幻想世界はカタストロフの予感をはらみながらも結末がいつまでも訪れずに、怖ろしい予感だけがちょうど水のようにひたひたと満ちている世界。薄明の世界だ。
クノップフの絵も百の短編小説も、無意識の記憶にこびりついてしまうイメージを持っていると思う。

クノップフの生涯
風景画
プロフィール

胡舟

Author:胡舟
北海道オホーツクに在住し北の海のクラフトを作っています。

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