You Must Believe in Spring

久しぶりにビル・エヴァンスのCDを買った。月曜日に届いてから何度聴いたろう?最初のフレーズから何かが異質に感じて「これがビル?」と呟いた。なんなのだろう、このおセンチな感じ?様々な情景やら懐かしさやらが、胸に波のように広がってくる。ビルのアルバムは何枚も持ってるけど初めての経験。それらがいったい何なのか判りたくて、何度も繰り返し聴いた。
You Must Believe~のビルはかなり異質だ。リリカルな曲を弾いてもいつも必ず、男性的で力強いタッチが繊細な旋律を支えているはずなのに。骨太さは息を潜めている。インタープレイへの情熱もあまり感じられない。全体にジャズというよりポップスに近い。Amazonの評では美しい・悲しい・繊細などの言葉が並んでいたけど、私は「弱さ」も感じた。
録音は1977年。前年に別れた妻エレインが自殺し、77年(収録の4ヶ月前)には兄も自殺している。(B MINOR WALTZはエレインに、WE WILL MEET AGAINは兄ハリーに捧げている。)ビル自身も亡くなる4年前だから薬物でボロボロだったろう。「You Must Believe in Spring(きっと春は来るから)」は、ビルが自分に言い聞かせたかった言葉かもしれない。そういう事情を考えれば、音楽性をあくまで追及していく天才の精神は陰に隠れ、曲のエモーショナルな雰囲気に身を任せてたゆたうかの如きピアノも納得がいく。また録音はされたものの発売されず、発表がビルの死後になったことも、さもありなんという気がする。だってMASHのテーマのシンプルなメロディをほとんど加工もせずに、ただ甘く物悲しく繰り返すビルなんて信じられないもの。このアルバムのビルはクールなJAZZ GIANTではなく、悲しみに沈む弱い人間なのだ。もちろんだからといって演奏の質が悪いわけでは決して無い。ソロではところどころでさすがの冴えを見せる。
ところでいきなり私が感じて驚いた不思議な感動は、実は上記のビルの事情とはあまり関係がない。元々前知識なく聴いたので、詳細は後で調べて知ったのだ。
初めて聴いたとたん頭に切れ切れの絵が広がった。まず、なぜかアラン・ドロン。光る海、外国の街並み。それから日曜洋画劇場のエンディングテーマを思い出した。(Cole Poterの「So In love」だったと今調べて知った。)それに初めて聴くアルバムなのに、なぜか感じる強い郷愁。こういう音楽をたしかに昔よく耳にしていた…。
収録曲を調べてみて得心がいった。(英語のライナーノーツを読むのがかったるかったので、何度か聴いた後で曲目や作曲者についてネットで調べた。)タイトル曲You Must Believe in Springはなんとミシェル・ルグランの曲ではないか!ルグランといえば「風のささやき」。私の大~好きな曲だ。(マックィーン作品で華麗なる賭けが一番好きなのは、主題歌風のささやきが好きなためでもある。)その他ルグランが音楽を手がけた映画は仁義、栄光のル・マン、エヴァの匂い、シェルブールの雨傘、女は女である、タヒチの男、太陽は知っている、ビリー・ホリディ物語…どれも昔夢中になって観た映画だ。(人生で一番映画を観てた時期かもしれない、将来は映画監督を夢見てたりした。)ビリー・ホリディの愛のテーマはたまにピアノで弾く。「ロシュフォールの恋人たち」は未見なのでYou Must Believe~は初めて聴いたのだけど、その元になっている雰囲気はすでに馴染み深いものだったのだ。
あとM*A*S*HのテーマSUICIDE IS PAINLESSを書いたジョニー・マンデルは、名曲いそしぎ(The Shadow Of Your Eyes)の作曲者。あの頃の映画には物憂げでメロウな、美しいメロディを持つ音楽がついてることが多かった。M*A*S*Hは観たし面白かったけど、音楽の記憶は残ってなくてほぼ初めて聴くのと変わらないけど、いそしぎは逆に映画はあまり記憶に無くて、ただ音楽の美しさが鮮烈だった。The Peacocksは聴いてるとジャン・ギャバンが陰影濃い画面で思い浮かんだりして、フィルム・ノワールぽい雰囲気なのだ。そうか、それで「6-70年代の洋画の雰囲気」がばーっと切れ切れに頭に浮かんだわけだ。今ではすっかりなくしてしまったけど、当時は熱意と愛を持って洋画を観ていて、その気持ちがいっぺんに蘇ったらしい。つまり”70年代センチメンタリズム”ともいうような濃厚な雰囲気を、このアルバムが発していたのだ。
70年代ぽいということならチック・コリアでもハービー・ハンコックでも同じ気持ちになりそうだけど、これらを聴いて”胸に迫る”状態になったことはなかった。おそらくはビルの個人的な精神状態と、収録曲の持つ雰囲気や時代の雰囲気が一つになって、極めて濃厚でリアルなセンチメンタリズムを発することになったのじゃないだろうか。
それにしても音楽は本当に不思議だ。すっかり忘れていたつもりでも、音楽と結びついた記憶は無意識にしっかり焼き込まれている。だから時に音楽が苦手なことがある。触られたくない心の底の柔らかい部分に、直に響いてくることがあるから。
ところで、アルバムジャケットの絵が良くタイトルの雰囲気を表していて味わい深いので調べてみた。(ポートレートか写真のジャケットがほとんどのビルのアルバム中、絵画が使われているのも異色といえる。)Charles Burchfield(1893-1967)というアメリカの画家で、生まれ育ったオハイオの身近な自然を題材に、イマジネーション豊かな水彩画を描いたそうだ。ネットで絵を色々見たところ大変私好みのアーティストだったので、大きな得をした気持ちになれた。(この絵などはかなり好み。)
蛇足だが私の手に入れたCDはオリジナルの7曲に3曲のボーナストラックが入っている。この3曲が全てアップテンポのもう雰囲気ぶち壊し、センス皆無、これぞ蛇足という選曲なのだ。(演奏そのものが悪いわけでは決して無く雰囲気が合わない。)もしわかっていればオリジナル盤を選んでいたに違いないし、これから購入される人にはぜひボーナスなしをお勧めする。ただ皮肉なことに、ボーナストラックを聴いてやっと「やっぱりビル・エヴァンスだったな」と再確認できたりするのだが。
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いじめについて
最近のニュースを見て感じることを、かつてのいじめられっ子のひとりとしてとりとめなく書いてみる。書いてみたところで何になるという気もあるけど、日々ニュースを見るたびに何か書かずにはいられない気持ちになっている。
まず自分のこと。いじめられたのは小学校の5-6年。理由はよくわからないが私がどこか「変わっていた」というだけだったんじゃないかと思う。他の子を醒めた目で見ていた子だったかもしれない。10歳を超えたくらいから、なんとなく周りの子供たちと違和感があった。(両親の職業が当時としてはやや特殊という家庭環境のせいもあったかもしれない。)子供らの輪に加わっていくより、空想の世界で独りで遊ぶ方が好きだった。「皆で一緒に遊ぶ」ことに伴う暗黙のルールだの協調だのが面倒くさくて、そうまでして皆でする遊びがさほど楽しいと感じられなかった。(今でも基本的な協調性には思いっきり欠ける。)それをあからさまに出したりはしなかったけど、なんとなく他の子と違う雰囲気がいじめにつながったのかしれない。ひどい仕打ちをされて死のうと思ったこともある。決行寸前まで行ったもののふんぎりがつかず、結局その後も嫌々学校へ通った。小学校卒業と同時に家が引っ越したのでうっとおしい級友たちと顔を合わすことも無くなったけど、それでいじめに決着がついたとは思わなかった。「生き辛い」という感覚が染み付いたことで、中学高校も大人になってもそれを引きずっていくこととなったからだ。
生き辛さの感覚は今も変わらない。だけどそれが自分の基本的な在り様なのだと考えられる程度に、今はやっとなった。
いじめは辛い。学校生活が日常の9割を占める子供にとって、学校がいじめの舞台だったならそれは地獄に等しいことは経験でわかる。でもいじめで自殺してしまう子には、驚きも感じる。私は自殺を決行出来なかったからかもしれない。その時から無意識に”逃げる”方に方向転換したのだと思う。いじめで死んでしまう子ばかりがクローズアップされるけど、いじめられても死ななかった子、死ねなかった子のことを知ることが、意味があるんじゃないだろうかと強く思うのだ。
死んでしまいたい気持ちはわかるけど、それくらいなら逃げちゃえばいいのにと思う。私のときは不登校という言葉もなかったけど、今なら学校へ行かないという手もあるし、それができないなら学校へ行くフリだけしてさぼってもいい。(中高はサボリ魔で通した。)いずれは卒業するのだ。うっとおしい連中と一生付き合わなきゃいけないわけじゃない。
色々なケースがあろうし総括できないのはわかっているけど、自分のことをベースに言う。いじめられる子は「みにくいアヒルの子」なのだと思う。アヒルとそりが合わないからといって白鳥が死ぬことは無い。もっと言えばねずみとライオン、アリと象だっていい。つまり人と違っていることが自分の存在意義だと思うことだ。天才とか芸術家、大作家とか大俳優とか大コメディアンとかは、若年のころは変わり者とか頭が悪いとか言われてた人が圧倒的に多いのだ。学校生活では横並びで扱われるので、アヒルの中の白鳥は居辛い。でも仕方ない、そういうシステムだからじっと我慢するしかない。私も高校を出るまではただもう「うんざりしながら」過ごしていた。問題は子供が自分が白鳥と思えるかどうか、客観的な視点・広い視点を獲得できるかどうかなのだと思う。いじめをなくすことも大事だけど、子供に様々な視点を与えられることができる学校であればと思う。今自分がすべてだと思い込んでいる狭い枠を超えられるような。
もちろん自分を白鳥やライオンと思うならそれなりの努力が必要だ。孤独にも不遇にも耐えられなければいけないし、持ってる資質を磨かなきゃいけない。学校生活を終えて世間に出れば白鳥は自分ひとりでないことがわかって、仲間も見つけやすくなる。狭い枠にあわせることはないのだ。それまでとりあえず学校なんかやりすごすせばいい。こんなこと学校じゃ教えてくれない。私も映画や小説や漫画から学んだし、今もどうにか自分を生かそうと悪戦苦闘している。周囲に自分をあわせるよりも、自分にふさわしい環境を時間をかけて作り上げていけばいい。人生は辻褄あわせなのだ。
ともかく死んでしまうのは絶対にもったいない。前に観たドラマで橋の上から飛び降りようとしてる男の子を担任の先生が説得するのだが、「いちごに牛乳かけてもう一度食いたくないのか」って言って、うわぁすごい説得力!と感動した。その子も自殺を思いとどまってた。辛い日々の中でほんの少しでも視線を別の方向に持っていけるよう、たくさんの「牛乳いちご」に気づけることを心から願う。
いじめられた子が自殺したからといって、苛めた側のショックは一時的なものだ。復讐にも何にもならない。彼らは明日も来年も生き続けて、美味しいものを食べたり恋愛したりするのだ。だけど死んだ子を愛していた人たちの悲しみは、一生その人たちを苦しめる。
まず自分のこと。いじめられたのは小学校の5-6年。理由はよくわからないが私がどこか「変わっていた」というだけだったんじゃないかと思う。他の子を醒めた目で見ていた子だったかもしれない。10歳を超えたくらいから、なんとなく周りの子供たちと違和感があった。(両親の職業が当時としてはやや特殊という家庭環境のせいもあったかもしれない。)子供らの輪に加わっていくより、空想の世界で独りで遊ぶ方が好きだった。「皆で一緒に遊ぶ」ことに伴う暗黙のルールだの協調だのが面倒くさくて、そうまでして皆でする遊びがさほど楽しいと感じられなかった。(今でも基本的な協調性には思いっきり欠ける。)それをあからさまに出したりはしなかったけど、なんとなく他の子と違う雰囲気がいじめにつながったのかしれない。ひどい仕打ちをされて死のうと思ったこともある。決行寸前まで行ったもののふんぎりがつかず、結局その後も嫌々学校へ通った。小学校卒業と同時に家が引っ越したのでうっとおしい級友たちと顔を合わすことも無くなったけど、それでいじめに決着がついたとは思わなかった。「生き辛い」という感覚が染み付いたことで、中学高校も大人になってもそれを引きずっていくこととなったからだ。
生き辛さの感覚は今も変わらない。だけどそれが自分の基本的な在り様なのだと考えられる程度に、今はやっとなった。
いじめは辛い。学校生活が日常の9割を占める子供にとって、学校がいじめの舞台だったならそれは地獄に等しいことは経験でわかる。でもいじめで自殺してしまう子には、驚きも感じる。私は自殺を決行出来なかったからかもしれない。その時から無意識に”逃げる”方に方向転換したのだと思う。いじめで死んでしまう子ばかりがクローズアップされるけど、いじめられても死ななかった子、死ねなかった子のことを知ることが、意味があるんじゃないだろうかと強く思うのだ。
死んでしまいたい気持ちはわかるけど、それくらいなら逃げちゃえばいいのにと思う。私のときは不登校という言葉もなかったけど、今なら学校へ行かないという手もあるし、それができないなら学校へ行くフリだけしてさぼってもいい。(中高はサボリ魔で通した。)いずれは卒業するのだ。うっとおしい連中と一生付き合わなきゃいけないわけじゃない。
色々なケースがあろうし総括できないのはわかっているけど、自分のことをベースに言う。いじめられる子は「みにくいアヒルの子」なのだと思う。アヒルとそりが合わないからといって白鳥が死ぬことは無い。もっと言えばねずみとライオン、アリと象だっていい。つまり人と違っていることが自分の存在意義だと思うことだ。天才とか芸術家、大作家とか大俳優とか大コメディアンとかは、若年のころは変わり者とか頭が悪いとか言われてた人が圧倒的に多いのだ。学校生活では横並びで扱われるので、アヒルの中の白鳥は居辛い。でも仕方ない、そういうシステムだからじっと我慢するしかない。私も高校を出るまではただもう「うんざりしながら」過ごしていた。問題は子供が自分が白鳥と思えるかどうか、客観的な視点・広い視点を獲得できるかどうかなのだと思う。いじめをなくすことも大事だけど、子供に様々な視点を与えられることができる学校であればと思う。今自分がすべてだと思い込んでいる狭い枠を超えられるような。
もちろん自分を白鳥やライオンと思うならそれなりの努力が必要だ。孤独にも不遇にも耐えられなければいけないし、持ってる資質を磨かなきゃいけない。学校生活を終えて世間に出れば白鳥は自分ひとりでないことがわかって、仲間も見つけやすくなる。狭い枠にあわせることはないのだ。それまでとりあえず学校なんかやりすごすせばいい。こんなこと学校じゃ教えてくれない。私も映画や小説や漫画から学んだし、今もどうにか自分を生かそうと悪戦苦闘している。周囲に自分をあわせるよりも、自分にふさわしい環境を時間をかけて作り上げていけばいい。人生は辻褄あわせなのだ。
ともかく死んでしまうのは絶対にもったいない。前に観たドラマで橋の上から飛び降りようとしてる男の子を担任の先生が説得するのだが、「いちごに牛乳かけてもう一度食いたくないのか」って言って、うわぁすごい説得力!と感動した。その子も自殺を思いとどまってた。辛い日々の中でほんの少しでも視線を別の方向に持っていけるよう、たくさんの「牛乳いちご」に気づけることを心から願う。
いじめられた子が自殺したからといって、苛めた側のショックは一時的なものだ。復讐にも何にもならない。彼らは明日も来年も生き続けて、美味しいものを食べたり恋愛したりするのだ。だけど死んだ子を愛していた人たちの悲しみは、一生その人たちを苦しめる。
表紙絵のアリス


私が持っている「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」。共に昭和50年代の角川文庫出版。数年前にネットの中古書サービスで購入した。欲しい本を登録しておくと全国の古書店から探して連絡してくれるもので、1冊千円ほど取(ぼ?)られた記憶(苦笑)。子供時代から愛読していた本があまりにボロボロになったので、同じものを探して購入したのだった。
元持っていた本はたしか昭和40~3年くらいの出版だった。多分読み聞かせにでも使うつもりで母が買って忘れていたのだろう。普段あまり入らない部屋の本棚の隅で小学生の私が見つけたときは、すでに日焼けして茶色くなっていた。
現在の角川文庫は装丁も訳者も変わっていて、前のは絶版になっている。今やアリスは版元も訳者も多種多様な版が出ているが、どうしてもこのアリスじゃないと嫌だった。表紙絵がとても気に入っているからだ。「カバー・広みさお」とあり、検索しても角川のアリスの表紙を描いたことしかわからなかった。(広みさおさんについての情報をご存知でしたら教えてください。)面白いと思うのは鏡の国の方。読んだことがあればわかると思うけど、お話には魔女もフクロウも出てこない。もしかしたら本文は読まないまま、大まかなあらすじだけを元に絵を描いたのではないかしら。その「本文と食い違っていること」が、逆にアリス的で面白いと思うのだ。子供の絵のようなのびのびした雰囲気も好もしい。
現在の様にあらゆる出版社からアリスが出版される前の黎明期に、草分け的に出版したのが角川文庫だ。訳も今読むとところどころ古めかしい言葉がある。でも私は現代語訳よりこちらの方がぴったりくる。18世紀イギリスのそこそこ良い家庭のお嬢さんであるアリスは、「7歳と9ヶ月」という年齢にしては驚くほど利発で空想力豊かで、時には母性的、時にはレディ、どんなに揚げ足を取られようがトリッキーな要求をされようが、生真面目におっとりと不思議の世界を進んでいく。このイギリス人らしい古めかしい生真面目さとお行儀のよさの中の子供っぽさ、どこか現実ばなれした可笑しさは、むしろちょっと時代遅れの古風な言い回しの中の方が生き生きして感じられるように思う。
ねこのごんごん

私の大好きな絵本。絵本といってもペーパーバックみたいな感じだったなと思ったら、1975年に福音館書店こどもの友4月号として刊行されたそうだ。現在は廃刊になっている。
田舎家に迷い込んだ野良の子猫「ごんごん」と年取った白猫「ちょん」のお話は、細部まで丁寧に生き生きと描きこまれている。板敷きの縁側のヒヤヒヤした感じ、庭に咲くフクシアやひまわりの花、放し飼いの鶏たちの賑やかな様子、ごんごんが落っこちた池の鯉や縁の丸石、ちょんのお墓の横に咲くおしべの長い彼岸花。そういったものがひとつひとつ生き生きと、愛情を込めて描いてある。絵の隅々まで楽しめて、田舎の大きな農家の雰囲気が伝わってくる。何度も何度も楽しみながら眺めた絵本。まだ実家にあるだろうか?
作・画の大道あやさんは60歳になってから絵を描き始めた由。この記事を書くために調べて、丸木位里の実妹と初めて知った。波乱の生涯を送られた方だそう。絵はハートなんだということが伝わってくる。物作りも同じ、きっと。