時のオブジェ

時計を作りたいと思った。
正確には”時を刻むオブジェ”かもしれない。砂時計とか日時計みたいな。
昔ピンクの砂の入った砂時計を持っていた。机にトンと置いてじっと見ていると、平らな砂の表面にごく小さい針で突いたようなくぼみが出来る。それがゆっくりと少しずつ大きなすり鉢になるのをじっと見ていた。最後の砂粒が落ちるのを見逃すまいと思うのに、最後の最後で砂はあっけなくスッと落ちてしまう。肩透かしを食ったみたいな気持ちで、つい何度もひっくり返して同じことを繰り返す。ふと気づいて「何やってるんだろう私」と思ったり。
何時何分なんてわからなくていい。ゆっくりと途絶えることなく流れていく時を感じられる、ただそれだけのオブジェがあればいいなと思った。
100均で時計のムーブメントを買ってきた。針はつけずに、心棒の上に小さな乾燥ヒトデを接着剤でくっつけて、電池を入れてみた。するとヒトデはチッチッと廻り始めた。面白くてついボーっと眺めていて「これだ」と思った。板に穴を開けてムーブメントを仕込み、表面には砂や流木を貼り付けて。飛び出た心棒にはヒトデを貼り付けて、秒針代わりにヒトデが廻る仕掛け。ヒトデが刻む海時間…のはずだった。だけど板を縦にしたところ、ヒトデの重さで廻らなくなってしまった。わずか10グラムなのに。がっくり。
その後時計ムーブメントの有名企業にメールで尋ねてみたところ、「5グラム以上の重さの秒針が回せる電池式ムーブメントは無い」とのこと。うーん、企画倒れ。。

「ヒトデや貝殻で海時間を刻むオブジェ」のイメージは、まだ私の頭の中に棲みついている。いつか完成できる方法が見つかればと思っている。
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ビーチグラスのライト



近作「ビーチグラスと貝殻のボールライト」。台座の貝殻は帆立貝。きれいな丸を出すことと、点灯時にビーチグラスの色がきれいに出ることにこだわってみた。

10年以上昔にも一度ビーチグラスのボールを作ったことがある。
埼玉時代は海が遠かったのでめったに海には行かなくなっていた。時折夫の郷里に里帰りしたとき、時間を見つけて海へ行くのが楽しみだった。貝殻やビーチグラスをいっぱい袋に拾って持って帰ると、義母が「あれまぁそんなに拾って」と笑っていた。
そうやって溜まったビーチグラスで球を作ろうと思いついた。ちょうど頃合の大きさの真ん丸い花瓶が家にあったので、その周囲を覆うように下からガラス同士をを貼り付けていき、中央(花瓶の赤道線)まで来たら次の一列は貼り付けないので乗っけるだけにして、セロテープで固定する。その上からまたガラス同士を貼っていく。こうすれば最終的に球は赤道から割ることが出来て、中の花瓶を取り出せるだろう。その通りに作業してちゃんと球にすることが出来たけど、当時はまだグルーガンのような便利な接着剤がなくて仕方なく普通のセメダインを使った。くっつけた後パリパリに乾くので微妙な調整とか出来なくて、かなり苦労した記憶がある。
ともかく出来上がった球を、庭のサツキの古株を切って色を塗って作ったオリジナルの台座に乗っけて、玄関に飾って悦に入っていた。ビーチグラスだけでなく一部貝殻も使ってたと思う。そうして2-3年飾っておいたら、だんだんセメダインの色が黄茶色に変色してきた。あるとき玄関を掃除中に誤ってボールを落としてしまった。でもたいした高さじゃないし畳の上だし大丈夫かな、と思っているうちにコロコロ…と転がって壁にトンとぶつかったら、そこでバラバラになってしまった。セメダインの接着力がもうなくなっていたのだ。「あーあ」と思いながら散らばったビーチグラスと貝殻をすべて拾い集めた。

前回の失敗?を教訓に今回はガラス専用の接着剤を使用した。また型の外側から作るのではなく、半球形の型の内側にガラスを貼って成形していく方法を考えた。こうすると表面がガラスの厚みでデコボコにならずにきれいに丸く見えるのだ。これで万全という方法はまだ見つからないので、これからも探求は続けていくつもり。あの時バラバラになったビーチグラスは丁寧に古いセメダインをはがして、今回のボールライトにも使っている。

北の海のクラフト 胡舟クラフト

おこっぺ牛乳



私が試してみて「いける!」と思った地元オホーツクの特産品を紹介します。
「おこっぺ牛乳」。紋別郡興部町(もんべつぐんおこっぺまち)のノースプレインファーム製造。飲んだ感じはとっても濃厚。濃厚な牛乳というよりも、あっさりめのクリームを飲んでる感じ。濃厚なんだけど甘ったるい乳臭さは全く無くて、むしろ後味さっぱりな感じすらします。「あー本当の牛乳ってこういうもんなんだなー」と、初めて飲んだときはとても感動しました。牛乳瓶の裏側に注意書きがあります。「より自然な状態でお飲みいただくため乳脂肪の均質化処理をしておりません。このためクリームが浮いてきますが品質には問題ありませんので、よく振ってお飲みください」。

興部町へはうちからオホーツク沿岸を車で2時間くらい北上します。「牛乳の里」を謳っているとおり酪農中心で、海沿いには牧草地が広がり、海を背に牛がのんびり草を食んでいる風景が見られます。道北にドライブしたときは必ず「道の駅おこっぺ」に立ち寄ります。ここの売店でおこっぺ牛乳はじめ自慢の乳製品の数々が販売されているので、ちょっと休憩に最適。名物のおこっぺソフトもなかなかいけました。「飲むヨーグルト」も美味しいと評判なので今度試してみよう。
余談ですが道の駅おこっぺは旧名寄本線興部駅跡地に作られていて、往時の写真パネルや資料などの展示コーナーがあります。(私は昔一度だけ名寄本線に乗ったことがあります。)きれいで広い公園や花壇があり施設も新しく、天気がいい日は気持ちのいいところです。宿泊施設などいろいろな施設があるようです。(道の駅おこっぺのHP

でも興部町までいかなくても、おこっぺ牛乳はオホーツク地域の大きなスーパーで売っています。おこっぺ牛乳を使ってクリームシチューを作ったときは、市販のルーでも感動的に美味しいシチューが出来ました。オホーツクへおいでになる機会があれば、ぜひ飲んでみてください。

桜山

関東は今桜が満開らしい。桜といえば洗足池の桜山を懐かしく思い出す。
中学から大学に上がるまで大田区の洗足池のすぐ側に住んでいて、池のある桜山公園が私の部屋の窓から見えた。ふだんはとても静かなところなのに、花見時には大騒ぎになった。日課で犬を散歩させるのが、この時期は嫌だった。耐え難い酒の臭気と酔客の馬鹿騒ぎ、それとあちこちに出現したゴミの小山を尻目に、余すところ無く敷かれたゴザの隙間を縫いながら犬の紐を引っ張って、出来るだけ急いで通り抜けた。
半月ほど経つと花は終わって若葉の季節になる。その頃には花見客もいなくなって、静かになった公園をいつものように散歩できるようになる。桜の若葉の緑陰に染まりながら歩いていると、初夏の爽やかな風がさっと吹いて、ふいに頭上から花吹雪が舞ってきた。すっかり葉桜になったと思ったら、高いところに咲き遅れた一枝が残っていたのだ。気がついて見渡してみると、あちらこちらで花びらがはらり、はらりと若葉の間から落ちていた。もうわずかなそよ風で落ちてしまう花びらは、優しく落ちる雨のしずくみたいにも見えた。
花のあとの赤いしべは、やがて小さな黒い実をたくさん生らせる。それは公園の土の上にぽたぽた落ちて、踏むと濃い赤い汁になった。小鳥が実を食べに集まるので、甘いのかと思って摘み取って口に入れたら、ほっぺがすぼまるほど渋かった。
秋には紅葉も美しく、桜の木は折々に楽しい思い出を作ってくれた。そういえば中学の時は、学校からの帰り道には洗足池公園を通り抜けていた。学校では禁止していたけれど。公園をはさんでちょうど対角線の位置に中学校と私の家があったので、公園を抜けていくのが一番近道だったし、池のアヒルを眺めたり小さな神社に寄り道したり桜の林を通り抜けていくのは、気持ちがほぐれていくようでホッと和めるひと時だった。「どうしてこんな楽しい道を禁止するんだろう」と毎日のように池の脇と桜山を通って帰宅していた。

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BLUE MONK



永久欠番というのがある。不世出の名選手を称えてその選手がつけていた背番号を以後使わないようにするもの。前に戯れに「永久欠演」というのを考えてみたことがあった。名曲の名演奏を称えて、以後その曲を誰もカヴァーしないことにするのだ。例えばMY FAVORITE THINGSはジョン・コルトレーンで欠演。BODY AND SOULはビリー・ホリディで欠演(欠歌)という具合。だけど問題があって、生まれたとたんに当の作曲者の名演奏によって欠演になってしまう曲が続出するだろうってことだ。例えばWALTZ FOR DEBBYはビル・エヴァンスによって作曲・演奏された瞬間に永久欠演でしょう。Moanin'はアート・ブレーキー&ジャズ・メッセンジャーズしか演奏できない。そしてその最たるものがセロニアス・モンクの「BLUE MONK」だと思う。

BLUE MONKは誰でも一度くらいは耳にしてるとてもポピュラーな曲だ。私は密かに”デパートミュージック”と呼んでるけど、バンド演奏バージョンがよくデパートやレストランなんかで流れている。だからメロディだけは早くから知っていて、イージーリスニングのひとつくらいに思っていた。
学生のとき聴いた「ALONE IN SAN FRANCISCO」は私にとってのセロニアス・モンク入門になったアルバムで、今でもモンクの中では一番好んで聴く。特に当時「うおぉ☆カッコいい!」と大感動したのが、モンクのソロピアノによるBLUE MONKだった。まさに目ならぬ耳からウロコ、この曲の印象が180度変わった経験だった。

どうやらモンク自身が後に演奏したバンド版の方が一般に有名な印象だけど、この曲のソウルというか核心は、ソロピアノの方にこそ遺憾なく現れていると思う。軽快なメロディはJAZZYなビート感があって、この絶妙なビート感はバンド演奏では出せないのだ。(日本人にはほとんど真似の出来ないリズム感!私は無謀にも耳コピで弾いてみたけど、どうやってもあのリズムを真似ることは不可能だった。)”基本のコードでシンプルなメロディ”の繰り返しなので、絶妙なリズムやモンクの息遣いがそのまま音に変化したようなタッチが力強く響いてくる。私は何よりも、曲が持っている孤独感に強く惹かれる。じっと聴いていると浮かんでくる風景はアメリカの下町の石畳。早朝の誰もいない街角を昨夜のほろ酔いが残った人が歩いてくる。自分で自分を面白がっているみたいに、時々軽いステップを踏んだりメロディを口ずさんでいる。シンとした朝の冷たい石畳に靴音が響く。暗くも湿ってもいない、明るく乾いた孤独。この曲は孤高のピアニスト・セロニアス・モンクその人自身かもしれない。JAZZであると同時にbluesも強く感じさせる演奏。

他の収録曲でも「Ruby, My Dear」や「Pannonica」が好き。ソロアルバムでは他にも「THELONIOUS HIMSELF」「SOLO MONK」も持っているけど、それぞれ違った雰囲気でモンクの別の面を垣間見るようだ。異論もあるだろうけど私はモンクはソロが一番好きだ。
プロフィール

胡舟

Author:胡舟
北海道オホーツクに在住し北の海のクラフトを作っています。

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