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ARETHA FRANKLIN

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楽しみにしていたCDがやっと届いた。「The Very Best Of ARETHA FRANKLIN」。エンドレスでかけながらノリノリで作業。体が勝手にリズムをとる。夫が帰宅すると「すごいイイから!聴く?聴きたいでしょ?」と又かけて自分が聴く。Amazonでは全員が満点評価で針が振り切れている(笑)。
アレサを知ったのは映画ブルースブラザース。BBでも歌っていた「THINK」も収録されている。CDは60年代のヒット曲集で、どれも一度は聴いたことがあるようなスタンダード化したR&Bナンバーばかり。思い切り歌い上げてもちっともうるさくないし、しっとりした曲を歌っても湿っぽくならず、でもしっかりこちらのハートに響いてくる。真に歌の上手な人ってそうなのだ。素晴らしい歌い手だなぁ、感動しまくり。埃っぽく乾いた、黄色いアメリカの田舎道が目に浮かぶ。突き抜けるような明るさとパワーは、アレサのお腹の中にはちっちゃな太陽が入ってるんじゃない?と思うくらい。
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木彫黒檀と金属部品のストラップ



「黒檀と金属部品のストラップ・狗魔~KUMA~」壱(いち)、弐(に)。
共に高さ8センチ。携帯ストラップには大きいので、ファッションキーホルダー用に。
四つ目が壱。目はガラス板を焼いて作った直径3-6ミリの極小ガラス玉。鉤爪は太目のステンレスワイヤーを削って作った。弐号の手は時計部品や電子部品を貼り合わせている。

当初考えていたのとは違った方向に転がっていったあげく出来た作品。黒檀とガラス玉を取り合わせて奇妙で面白い形のものにしようと考えながら、なぜかクマキャラに落ち着いた。いったん決めたら「どんなありえない(邪悪なw)ビジュアルのクマにしようか」とワクワクしながらデザインを考えた。壱号を作った後意地になってさらに過激な弐号と、2体一気に制作。
このデザインが新しいとかオリジナルだとかは思っていない。(素材に硬木を使ってるのがちょいと珍しいかも。)キモい、怖い、自虐だのメンヘラだのという昔ならありえないような「強力な負の要素」を持ったキャラクターをしばしば目にする。自分にもそういうものに惹かれる傾向があったんだという自己発見の新鮮さが、製作に弾みをつけたように思う。

制作前に参考になりそうなものをネットで調べまくった。とはいえ最初は適当なキーワードがわからなかったし、自分が何を知りたいのかもはっきりしなかった。「体の一部が機械になってるのはアンドロイドかサイボーグか?」「鉤手の正しい形」「異形メカ」「義手の主人公」「村上隆」etc…。こういうのって昨今よく目にするし、ゲームやマンガやSFファンタジーやVFX映画などなどに親しんでいれば、苦労しないで欲しい情報にたどりつけたのかもしれない。漫画もゲームもCG多用映画もここ10年ほど全く近づかなかったせいで私は言葉を知らなかった。手当たり次第に調べたことはとても勉強になったし、自分が知りたかったこと~内心興味を持って横目で見ていながら、一方ではまったく目を塞いでいたこと~が自覚できた。
検索中に見つけた興味深い記事。(今なぜ欠如・不能・異形といった要素が受け入れられているのか…だとかもろもろ、誰か頭の良い人がまとめてくれてないかと探したところ、こちらの日記は大変興味深かったので。)

ところで昨日、海に近いドライブインで食事をしている時、偶然店に入ってきたおばさんの片手が鉤型の義手だった。申し訳ないと思いながらも探していたものを地元で見られることに感動して、後学のためにしっかり(気づかれないように)拝見させていただいた。狗魔ストラップを見たらおばさんはどう感じるのだろう、とうっすら考えながら。

アンモナイトな一日

2年前くらいから行きたかった三笠市立博物館に行ってきた。
アンモナイトがごろごろザクザクあるらしい、とどこかで小耳にはさんで以来「三笠でアンモナイトまみれになってみたい」という夢(もとい妄想)が膨らみ、このGWやっと念願かなって訪問を果たしたわけ。アンモナイトにも会えたけど、三笠の町もちょっと不思議な雰囲気のあるところだった。

早朝出立して昼前に三笠ICに到着。博物館は山の方なので桂沢湖方向に向かう。山道にかかるあたりから妙に古いような懐かしいような雰囲気。なぜかだんだん時間を逆行しているような気がしてきた。こういう光景何かで見たことがあるぞ…と思っていたら、突如山道の脇に『幸福の黄色いハンカチ』の世界が出現。おお、炭鉱住宅!高倉健が倍賞千恵子と住んでて、ラストで黄色いハンカチがヒラヒラしてたアレだ。それも廃屋とかじゃなく子供が遊んでいたり今風の車が停めてあったり、たしかな人の営みがある。本当に映画みたい。なんかえらく感動してしまった。
 三笠炭鉱住宅 1  三笠炭鉱住宅 2 
弥生地区という現在でも居住者のいる炭鉱住宅だそうだ。廃墟のようになってたり、夕張のように観光名所(「黄色い~」の撮影に使われたのは夕張の炭鉱住宅)として残してあるものじゃなく、現在も使われているのはすごい。北炭幌内炭鉱は平成元年まで稼動していたとその後訪れた市立博物館で知った。気がつけば弥生地区ばかりでなく、博物館へ向かう道路わきの風物がまだ往時の雰囲気を良くとどめていた。炭鉱の町など実際には知らないのになぜか懐かしいのは、昭和の香りがするからだろうか?

さて期待に胸を高鳴らせて博物館へ。展示室に一歩入るなり迎えてくれる巨大アンモナイト人形、さらに進むと直径50センチはあるアンモナイトがごろんごろん、それこそ所狭しと展示してあった。アンモナイトってこんなにでっかかったの!?今までに見つかった世界最大のアンモナイトは、殻の直径がなんと2.5メートルもあるそうだ。嗚呼素敵。多幸感いっぱいになりながら展示を見てまわる。大きいのだけでなく小さいものも多数展示してあって、トゲがあるやつ、ゴツゴツした拳骨みたいなやつ、巻貝のように円錐状になってるやつなど、種類も形状も実に様々だ。北海道は世界的に有名なアンモナイトの産地で、中でももっとも出土が多いのが三笠市だそう。
アンモナイトは貝ではなくて頭足類、つまり蛸やイカの仲間。考えてみるとアンモナイトに似ている貝類って有りそうで無い。巻きの中心に向かって渦潮みたいに陥没していくのは、普通の巻貝と逆。アンモナイトを縦にスパッと切ると中に仕切りが整然と並んでいる。この内部の幾何学的美しさこそ貝類には無い独特のもの。その螺旋は等角螺旋といって、数学的なきっちりしたものであるそうだ。(アンモナイトの螺旋を調べる)アンモナイトの子孫はオウムガイとして今も立派に?生息している。というかオウムガイの方がむしろアンモナイトよりも古いタイプの形態を、現在でもほとんど変わらずに留めているのだそうだ。4億年前から現代までほとんど変わらない生命体。すごい。



アンモナイトに強く惹かれ出したのは、造形をやり出してからかもしれない。ただの木の塊から”オリジナルな形”を削り出そうとすると、どんな単純な形であれ「これでよし」となるまでには全集中力・全感覚総動員になると知った。ちょっとした曲線の微妙な差異で思い描いたものと全く別物になってしまう。「つまれこれが造形ってやつなんだな」と。気づけば自然と”造形的にイケてるもの”に目が向くようになってる。いまや深海生物、甲殻類、古生代生物などに感動しまくりの私。

さてアンモナイトを満喫した後は他の展示へ。三笠とは切っても切れない幌内炭鉱の歴史と生活の展示を観る。当時実際に使用された計測器類、発破装置、ガスカウンターらしきものが、さほど広くない展示室にずらりと並べてある。計器類などは大好きだし触ることも手に取ることもできたけど、異様な迫力というか圧迫感でなぜかカメラを向けるのもためらわれた。横に当時の女性たち(鉱夫の奥さんたち)が真っ黒になってくず炭の入った車を押している様子の写真が貼ってあったり、度々見舞われた坑内事故の歴史年表が壁に張り出してあったからかもしれない。使い込まれた革のケースには真っ黒な炭の粉と汗が染み込んでいるような気がした。夫も(想像力が乏しいわりには)珍しく同じような感想を漏らしてた。実際に目の前にあるブツの迫力は数万の言葉より重い。「歴史は勉強するものじゃない、見て感じるものだ」という若槻千夏の名言を実感したのであった。
二階にはさらに空知集治監の資料室。初期の刑務所の服役囚たちが労働力を補うために採炭や開墾に従事した、その記録。北海道の開拓史はこうした重労働に従事した囚人らの存在(囚人だけではないけれど)抜きには語れないし、それは地元で普通に生活していてもあちこちで記念碑や慰霊碑を目にするので実感できる。そしてそれらの石碑はいつもきれいに掃除されている。開拓の歴史を影で支えてくれた存在に、北海道の人たちは感謝を忘れていないのだと感じる。
北海道の100年、アンモナイトの3億年。途方も無い「時間の流れ」を感じてふっとめまいのような感覚がした。自分がお釈迦様の手の上にいる孫悟空になったみたいな。

ところで三笠行にはもう一つ目的があった。どうしてもマイ・アンモナイトが欲しかったのだ。期待に反して販売されてるアンモはピンなどに加工された小さなものが主流で数も少なかったけど、ともかくも直径6センチのスライスされたものを買ってきた。ネットでいくらでも売ってるのは知ってるけど、産地へ行ってそこで出たモノを自分で選びたかったのよ。よく見ると気室に方解石の結晶が詰まっていて、なかなかきれい。うん、気に入った。しかし底の方に入っていた説明書には「産地イギリス」の文字。…おい。
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マイアンモ。

ノーマン・ロックウェル ~アメリカン・ノスタルジー~

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図書館で久しぶりにノーマン・ロックウェルの画集を見つけて、懐かくなって借りてきた。
借りたのは初めてだけど、昔毎日のように図書館に逃げ込んでいたときはよく眺めていた。(S池図書館の美術本コーナーの最下段に、エドワード・ホッパーと並んでいたのをはっきり覚えている。)当時もパラパラとめくりながら絵を見ていると、ふと胸が詰まって泣きたいような気持ちになって、慌てて本を閉じたりしていた。今何十年ぶりに見ても少しも変わらない。切なくなって涙が出そうになってしまう。いった何なんだろう…?

時々、私の前世ってアメリカ人だったのかしらと思うことがある。おそらく1800年代末か20世紀初頭生まれで、1920-30年代に青春時代を過ごし、40-50年代には活況を呈するショウビジネス界の一隅で働いていた…なーんて。映画などでその当時のアメリカのスタイルや文化を見ると、なぜか泣きそうなくらいのノスタルジーを感じてしまう。生まれ変わるには時間が短すぎるからそれは冗談だけど、ロックウェルの世界は私の”泣きツボ”をやたら刺激してくるのだ。

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「ちょっと休憩」(1946年)という好きな絵。映画館の掃除係のおばあさんが、客が捨てていったパンフレットを仲良く見ている。よく見ると左側のおばあさんのモップが上の部分だけ剥げていて、いつもそこをつかんで掃除してるんだなとわかる。二人の表情やしぐさがとてもリアルで、映画のワンシーンを観ているよう。「今夜はだれだったの?」「えーと、フレッド・アステアだって」なんて会話まで聴こえてきそうだ。ロックウェルの絵は映画になりそうなくらいの豊かな物語を感じさせてくれる。
老人を描いた絵が総じて好き。日本人との違いが老人にはよりはっきり出ているような気がする。しみじみしながらも湿っぽくなく、どこか茶目っ気を感じさせる表情がいかにもアメリカ人らしい。

ノーマン・ロックウェルは1894年ニューヨーク生まれ。”やせっぽちメガネ君”のノーマン少年は「得意な絵の能力を駆使して生きるしかない」と考え、早くから絵の勉強を開始したそうだ。家族との関係があまり暖かいものではなく早く独立したかったこと、NY生まれなのに都会嫌いで田園生活に憧れていたことなどは、少し意外な気もする。「サタデー・イブニング・ポスト」誌(アメリカで最も大衆的な週刊誌、だそうだ)の表紙で人気を博し、同誌の表紙は40年以上描き続けた。ごく普通の人々への慈愛に富んだ眼差し、それにユーモアとペーソスとそしてノスタルジーを湛え、徹底してリアルに描かれる油彩画は大衆の心を捉えて「アメリカの心を描く画家」と称された。
作画に当たっては登場人物の衣服、小物、背景などには完璧なまでにこだわった。イメージどおりの衣装や小物を苦心して自分で集め揃えたそうだ。ある人物がある状況下でどんなポーズをとり、どんな表情をするのか、その人はどんな性格でどんな歴史を持っているかまで映画監督のように緻密に組み立てていった。本作の前にまずほとんど本作と変わりないモノクロのデッサン画を作った。若いときデッサン練習と並行して人体研究を熱心にしたためデッサン力は驚異的で、ロックウェルの描く人物は解剖学的に見てもほぼ完璧なのだそうだ。尊敬。厳しい完全主義者というよりも、自分が描くものに対してはどこまでも誠実にあろうとした人だったようだ。
職業画家である彼の画題を決めるのは雑誌の編集部やクライアントであり、つまりはその時々の風潮や社会問題が絵のテーマになった。画集で生涯にわたる作品郡(1915-70)を眺めるのは、第一次大戦後からベトナム戦争までの激動したアメリカ現代史を絵で見ることにもなる。中期までの登場人物はほとんど白人だけど、50年代も終わりになってようやく黒人が登場し始め、60年代からは度々人種問題が絵のテーマに取り上げられている。アイゼンハワー・ケネディ・ニクソンら歴代大統領の肖像画や、月に着陸したアポロの飛行士なども描いている。

ロックウェルの絵を実写にするとしたら俳優は誰にしようかと想像するのが好きだ。例えばこのお巡りさんはスペンサー・トレイシー、とか。下の「婚姻届け」なら男性はグレゴリー・ペックで花嫁は誰がいいかな、あまり美人過ぎないで慎ましい感じの…とか飽きずに考えてる。

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プロフィール

胡舟

Author:胡舟
北海道オホーツクに在住し北の海のクラフトを作っています。

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