料理の本2冊
料理関連で素敵な本を読んだ。
*迷宮レストラン -- 河合真理
「歴史上の人物や空想の人物をお客様に迎えて、その方の好みに合わせたとっておきの料理を出すレストラン」という設定で、料理研究家である著者がメニューを考案して実際のコース料理に仕立て、レシピと共に紹介している本。料理を通して客である人物にアプローチしつつ、国柄やその時代の食に触れた薀蓄と知的エッセンスが散りばめられている。食という切り口から見たこれらの人たちは、私たちが知っているつもりの人物像とちょっと異なる側面を見せていたり、体温を感じさせてくれる。完成した料理の写真が美しい。器からテーブルセッティングに到るまで「客人」のイメージを豊かに喚起させるエスプリと細やかな心づくしに溢れている。例えばメニュー、ファーブルに出すのは「なすのマリネてんとう虫見立て(ナスのマリネをトマトとトリュフで作ったてんとう虫に詰めてある)」、シンドバッドへは「ココナッツとフルーツの宝石見立て(本当に宝石みたいに綺麗!)~」樋口一葉には「甲斐の銘酒、鰻豆腐(鰻が好物だったとか)」などなど。どの料理も本当に美味しそうだけど私が特に「食べてみたい!」と強く思ったのはダーウィン「すっぽんのコンソメ仕立て」、ジェロニモ「バッファローのシチュー」、聖徳太子「人参の蘇和え」とか他にもいっぱい!牛乳を何時間も煮詰めてつくる「蘇」の作り方とか、トナカイのステーキやイラクサなど「そんなもの食べるの!?」と思うような素材も出てきて、作り方や素材の説明がとても面白い。様々な国の様々な時代の料理を見ていると、当たり前だけど時代や地域によってずいぶん食べ物って違うのだなぁと思わせられる。これらのメニューを作るにはお客になる人物の資料を丁寧に調べ、本人の好みや思い出に絡めて当時の調理法や異国の素材などを勘案して、現代の私たちが実際に作って食べても美味しいようにレシピを考えたそうで、現代では手に入らない素材やわからない調理法もあったりで、それはそれは大変なことだったろうと作者の熱意に感動する。それだけでも凄いけど「シェフによるメニュー説明」のところに客人への敬愛と温かな思いやりが滲み出ていることに心を打たれる。読み飛ばしてしまうのはあまりに惜しく、ご馳走のように少しずつ大切に味わいながら読みきたい本。
*ながいも料理 -- 細貝葉子
夏の猛暑で内臓の疲れを感じ、長芋が良いらしいと知って図書館でたまたま手に取ったこの本が、大変奥ゆかしく素敵な本だった。単純に言ってしまえば長芋料理のレシピ本ということになるのだが、著者の人柄を想像させるような物柔らな口調で語りかけるような文章と美しい料理の写真を眺めているだけで、なんだか良い気持ちになってくるのだ。たとえば前書きの文章。「おいしい料理に出合った時ぜひ真似をして作っていただきたいのです。味、香り、かたちなど五感がきらめいているうちに。それからあなたの好きな素材に変えたり‥ご自分だけの料理へと変身をさせてくださいませ。」「ただ一度の人生でございます、おいしいものをたくさん食べて、心豊かに生きられたらと存じます。」「一日のうちどこかで『おいしいね』とほほ笑むときを過ごしていただける、お役に立てたらと『ながいも』と語り合っております」ね、素敵な文章でしょう?料理の名前も「昔見たお月様」「樵のいす」「落し文」など昔懐かしいような情緒があって。料理紹介の合間に川柳、短歌、刻字作品(それぞれ作者が違う)などや季節の風景写真がセンス良くはさんである。それらの作者や著者についても一切説明されていないのだけど、出版企画が青森県倉石町役場となっているので、おそらく地元で創作活動をしている人たちなのだろう。長芋という素材の味の奥深さを壊さないようにしつつ日本人固有の情趣を大切にと工夫されたレシピにも好感を持った。
*迷宮レストラン -- 河合真理
「歴史上の人物や空想の人物をお客様に迎えて、その方の好みに合わせたとっておきの料理を出すレストラン」という設定で、料理研究家である著者がメニューを考案して実際のコース料理に仕立て、レシピと共に紹介している本。料理を通して客である人物にアプローチしつつ、国柄やその時代の食に触れた薀蓄と知的エッセンスが散りばめられている。食という切り口から見たこれらの人たちは、私たちが知っているつもりの人物像とちょっと異なる側面を見せていたり、体温を感じさせてくれる。完成した料理の写真が美しい。器からテーブルセッティングに到るまで「客人」のイメージを豊かに喚起させるエスプリと細やかな心づくしに溢れている。例えばメニュー、ファーブルに出すのは「なすのマリネてんとう虫見立て(ナスのマリネをトマトとトリュフで作ったてんとう虫に詰めてある)」、シンドバッドへは「ココナッツとフルーツの宝石見立て(本当に宝石みたいに綺麗!)~」樋口一葉には「甲斐の銘酒、鰻豆腐(鰻が好物だったとか)」などなど。どの料理も本当に美味しそうだけど私が特に「食べてみたい!」と強く思ったのはダーウィン「すっぽんのコンソメ仕立て」、ジェロニモ「バッファローのシチュー」、聖徳太子「人参の蘇和え」とか他にもいっぱい!牛乳を何時間も煮詰めてつくる「蘇」の作り方とか、トナカイのステーキやイラクサなど「そんなもの食べるの!?」と思うような素材も出てきて、作り方や素材の説明がとても面白い。様々な国の様々な時代の料理を見ていると、当たり前だけど時代や地域によってずいぶん食べ物って違うのだなぁと思わせられる。これらのメニューを作るにはお客になる人物の資料を丁寧に調べ、本人の好みや思い出に絡めて当時の調理法や異国の素材などを勘案して、現代の私たちが実際に作って食べても美味しいようにレシピを考えたそうで、現代では手に入らない素材やわからない調理法もあったりで、それはそれは大変なことだったろうと作者の熱意に感動する。それだけでも凄いけど「シェフによるメニュー説明」のところに客人への敬愛と温かな思いやりが滲み出ていることに心を打たれる。読み飛ばしてしまうのはあまりに惜しく、ご馳走のように少しずつ大切に味わいながら読みきたい本。
*ながいも料理 -- 細貝葉子
夏の猛暑で内臓の疲れを感じ、長芋が良いらしいと知って図書館でたまたま手に取ったこの本が、大変奥ゆかしく素敵な本だった。単純に言ってしまえば長芋料理のレシピ本ということになるのだが、著者の人柄を想像させるような物柔らな口調で語りかけるような文章と美しい料理の写真を眺めているだけで、なんだか良い気持ちになってくるのだ。たとえば前書きの文章。「おいしい料理に出合った時ぜひ真似をして作っていただきたいのです。味、香り、かたちなど五感がきらめいているうちに。それからあなたの好きな素材に変えたり‥ご自分だけの料理へと変身をさせてくださいませ。」「ただ一度の人生でございます、おいしいものをたくさん食べて、心豊かに生きられたらと存じます。」「一日のうちどこかで『おいしいね』とほほ笑むときを過ごしていただける、お役に立てたらと『ながいも』と語り合っております」ね、素敵な文章でしょう?料理の名前も「昔見たお月様」「樵のいす」「落し文」など昔懐かしいような情緒があって。料理紹介の合間に川柳、短歌、刻字作品(それぞれ作者が違う)などや季節の風景写真がセンス良くはさんである。それらの作者や著者についても一切説明されていないのだけど、出版企画が青森県倉石町役場となっているので、おそらく地元で創作活動をしている人たちなのだろう。長芋という素材の味の奥深さを壊さないようにしつつ日本人固有の情趣を大切にと工夫されたレシピにも好感を持った。
スポンサーサイト
お土産屋のはなし
子供のとき父が札幌雪まつりの取材に行くことになって、家族で羽田まで見送りに行った。当時は飛行機に乗るって一大事だった?のか「よく(父の)顔を見ときなさい」と言われた。ともあれ父は無事に帰りお土産にすずらん香水を買ってきてくれた。こけしみたいな形の瓶で、丸いキャップがアイヌの女の子の顔になっている。香水の中には小さな本物のすずらんの花が封じてあった。甘い香りも愛らしい瓶もとても気に入って、中身が無くなっても蝋細工のようなすずらん入りの空瓶を長いこと仕舞っておいた。ときどきキャップをとってはそっと香りを嗅いでみた。
北海道に来てから折があればお土産店をのぞいてすずらん香水を探す。(香水をつけて出かけたりはしないけど、作業中の気分転換にフレグランスやお香をよく使う。)アイヌ娘のような洒落たパッケージは求むべくもなくなっていたけど、それでも5-6年前くらいまではどぎつい紫に着色されたラベンダー香水と並べてすずらん香水も売っていた。それが近頃ではなぜかまったく見かけなくなってしまった。お土産として香水が売れなくなったのかもしれない。すずらん香水が(ラベンダーも)北海道のお土産屋から消えてしまったことがとても残念。私がはじめて北海道を認識したアイコンだし、甘い香りを伴った思い出の品だから。
みやげ物にも時代の流れがあるんだろう。このごろ見かける食べ物以外のお土産品は、マスコットやキャラクターぽい品ばかりだ。色は派手になり材質もプラスチックなんかが多い。木彫や素朴な手工芸品のような土着の香りのするものはほぼ見かけなくなってしまった。近場では美幌峠のお土産屋が比較的近年まで”土臭い”感じを残していたけど(ヒグマの剥製があったり山野草やアイヌ風民芸品などを置いてた。すずらん香水も)道の駅としてきれいに整備されてからは、今風のキャラクターショップもどきな店になった。
昔のお土産屋って面白いけどちょっと怖いような独特の雰囲気があったと思う。壁一面にペナントが貼られていたり、木やら毛皮やら貝で出来たような雑多なものがあったり、それらの素材が混じった匂いがしてたり。変てこなキーホルダーやらおもちゃやらこけしやら、ちょっとタイムスリップしたみたいな非日常的な雰囲気が旅気分にさせてくれた。今のお土産屋は総じて明るくて清潔になり怪しげな感じがなくなってしまった。(地域によっては残っているのかもしれないけど。)
北海道のお土産ではもうひとつ不満がある。北海道といえば木彫りの熊。我が家にも常備しなければとずっと探しているのだけど、どうにも気に入ったものが無い。売っているのはどれもぬいぐるみみたいに妙に丸顔の熊で、なんだかリアリティがないのだ。子供のとき実家にあったのは小さいながら細身でリアルな熊で、急流を登ってきた鮭をハッシと捕らえた感じが出てたけど、近頃のメタボ気味の熊は営業用にポーズをとってるみたいに見える。これも今時を反映してる…のだろうか?
北海道に来てから折があればお土産店をのぞいてすずらん香水を探す。(香水をつけて出かけたりはしないけど、作業中の気分転換にフレグランスやお香をよく使う。)アイヌ娘のような洒落たパッケージは求むべくもなくなっていたけど、それでも5-6年前くらいまではどぎつい紫に着色されたラベンダー香水と並べてすずらん香水も売っていた。それが近頃ではなぜかまったく見かけなくなってしまった。お土産として香水が売れなくなったのかもしれない。すずらん香水が(ラベンダーも)北海道のお土産屋から消えてしまったことがとても残念。私がはじめて北海道を認識したアイコンだし、甘い香りを伴った思い出の品だから。
みやげ物にも時代の流れがあるんだろう。このごろ見かける食べ物以外のお土産品は、マスコットやキャラクターぽい品ばかりだ。色は派手になり材質もプラスチックなんかが多い。木彫や素朴な手工芸品のような土着の香りのするものはほぼ見かけなくなってしまった。近場では美幌峠のお土産屋が比較的近年まで”土臭い”感じを残していたけど(ヒグマの剥製があったり山野草やアイヌ風民芸品などを置いてた。すずらん香水も)道の駅としてきれいに整備されてからは、今風のキャラクターショップもどきな店になった。
昔のお土産屋って面白いけどちょっと怖いような独特の雰囲気があったと思う。壁一面にペナントが貼られていたり、木やら毛皮やら貝で出来たような雑多なものがあったり、それらの素材が混じった匂いがしてたり。変てこなキーホルダーやらおもちゃやらこけしやら、ちょっとタイムスリップしたみたいな非日常的な雰囲気が旅気分にさせてくれた。今のお土産屋は総じて明るくて清潔になり怪しげな感じがなくなってしまった。(地域によっては残っているのかもしれないけど。)
北海道のお土産ではもうひとつ不満がある。北海道といえば木彫りの熊。我が家にも常備しなければとずっと探しているのだけど、どうにも気に入ったものが無い。売っているのはどれもぬいぐるみみたいに妙に丸顔の熊で、なんだかリアリティがないのだ。子供のとき実家にあったのは小さいながら細身でリアルな熊で、急流を登ってきた鮭をハッシと捕らえた感じが出てたけど、近頃のメタボ気味の熊は営業用にポーズをとってるみたいに見える。これも今時を反映してる…のだろうか?