死都

フェルナン・クノップフ「見捨てられた町(Une ville abandonnee)」 1904年
短い中に空想を掻き立てられる詩的な言葉というのがある、例えばノヴァーリス・青い花とか。「死都ブリュージュ」もそんな言葉。ブリュージュという美しい音韻を持つ街が”死の都”とは、なんと幻想的なイメージだろう。
私はそれがこの絵のタイトルなんだとずっと思っていたけど、あるとき調べたらそうではなかった。「死都ブリュージュ」はローデンバックの小説で、その扉絵に使われていたのがクノップフ「見捨てられた町」だった。クノップフがおそらくローデンバックの作品に触発されて、少年期まで住んでいたブリュージュを描いたのだと言われている。
それにしてもこの絵と死都ブリュージュというタイトルが一度セットで頭に入ると、もう分かちがたいほどにダブルで強い幻想イメージを発してくると思う。
絵は鉛筆とパステルで描かれている。1904年作という古さに驚く。とても現代的な感じがするから。建物の前の広場に静かにひたひたと水が寄せているのが見えて、それがなんとも終末的というかシュールな、夢幻的な雰囲気。時間もわからない。薄明の中に水明かりが微光を放っている。止まったような時間の中に、水だけがかすかに揺らいでいるような。
私は内田百の「冥土」と共通するものを感じる。百の幻想世界はカタストロフの予感をはらみながらも結末がいつまでも訪れずに、怖ろしい予感だけがちょうど水のようにひたひたと満ちている世界。薄明の世界だ。
クノップフの絵も百の短編小説も、無意識の記憶にこびりついてしまうイメージを持っていると思う。
クノップフの生涯
風景画