左手のピアニスト
前記事の「グリーグ叙情小曲全集」、それと私の愛聴盤「フィンランドピアノ曲集」を弾いているのは、フィンランド在住のピアニスト舘野泉さんだ。”北欧音楽のスペシャリスト”と評されている。ピアノ好き・北方志向の強い私が、やがて舘野さんに行き着くのは当然だったろう。
ずいぶん前に「徹子の部屋」に出ていらしたのをたまたま観たのが出会いだった。その時演奏されたのがパルムグレン「粉雪」。当時はまだ東京住まいだったけど、きらきらと音も無く降ってくる粉雪の悲しいほどの美しさが胸に迫った。すぐCDを探して購入し、繰り返し聴いては、静謐な北の国へ思いを馳せた。舘野さんの飾らないお人柄にも惹かれた。
今年のはじめ、障害者のための番組に出てる舘野さんをお見かけして「なぜこんな番組に?」と思いながら観ていたら、驚いたことに舘野さんは2002年に脳溢血で倒れ右半身が麻痺、現在は左手一本だけで演奏活動をされているのだそうだ。(病に倒れてから復活を遂げるまでのいきさつはこのページに詳しい。)
その番組中のお話。お見舞いに来る人たちが皆一様に「スクリャービンの左手だけの曲があるじゃないか」と言われるのが、一番辛かったそうだ。自分はプロのピアニスト。左手だけの曲がいったいいくつ存在するのか、よくわかっている。そのわずかな曲だけをこの先ずっと弾き続けろというのか。思いやりから出る言葉だとはわかっていても、逆に「お前のピアニスト生命は終わったのだ」と宣言されているように感じられたそうだ。
それが左手のピアニストに生まれ変わるきっかけになったのは、とある(たしかイギリスの)作曲家の曲と出会ったことだった。やはり音楽家である息子さんが見出して、「そっとピアノの上に置いてあった」その楽譜は、戦争によって(だったと思う。記憶が元なので違っているかも)右手を失った無名の音楽家が書いたものだった。その楽譜を読みながらいつのまにかピアノに向かい、気がつけば一心に弾いていたのだそうだ。いわゆる左手の練習曲ではない、強い思いから生まれた本当の音楽がそこにあった。
番組では最後に舘野さんのピアノ演奏があった。左手がメロディを歌い、素早く移ったアルペジオがそれを支える。魂に染み込んでくるような音だった。聴衆も息を止めて聴き入り、深い感動がスタジオを包んでいるのが感じられた。もちろん私も。
復帰した舘野さんのために、友人の音楽家らによって左手のピアノ曲が数多く書き下ろされ、現在ではCDを数枚出すほどにレパートリーは増えている。
このことを知って感じたのは、舘野さんだったからこそ、こういう運命に見舞われたのかなぁと。最近流行のスピリチュアル風に言えば「新たなお役目」なのかもしれないと思ったことだった。
ずいぶん前に「徹子の部屋」に出ていらしたのをたまたま観たのが出会いだった。その時演奏されたのがパルムグレン「粉雪」。当時はまだ東京住まいだったけど、きらきらと音も無く降ってくる粉雪の悲しいほどの美しさが胸に迫った。すぐCDを探して購入し、繰り返し聴いては、静謐な北の国へ思いを馳せた。舘野さんの飾らないお人柄にも惹かれた。
今年のはじめ、障害者のための番組に出てる舘野さんをお見かけして「なぜこんな番組に?」と思いながら観ていたら、驚いたことに舘野さんは2002年に脳溢血で倒れ右半身が麻痺、現在は左手一本だけで演奏活動をされているのだそうだ。(病に倒れてから復活を遂げるまでのいきさつはこのページに詳しい。)
その番組中のお話。お見舞いに来る人たちが皆一様に「スクリャービンの左手だけの曲があるじゃないか」と言われるのが、一番辛かったそうだ。自分はプロのピアニスト。左手だけの曲がいったいいくつ存在するのか、よくわかっている。そのわずかな曲だけをこの先ずっと弾き続けろというのか。思いやりから出る言葉だとはわかっていても、逆に「お前のピアニスト生命は終わったのだ」と宣言されているように感じられたそうだ。
それが左手のピアニストに生まれ変わるきっかけになったのは、とある(たしかイギリスの)作曲家の曲と出会ったことだった。やはり音楽家である息子さんが見出して、「そっとピアノの上に置いてあった」その楽譜は、戦争によって(だったと思う。記憶が元なので違っているかも)右手を失った無名の音楽家が書いたものだった。その楽譜を読みながらいつのまにかピアノに向かい、気がつけば一心に弾いていたのだそうだ。いわゆる左手の練習曲ではない、強い思いから生まれた本当の音楽がそこにあった。
番組では最後に舘野さんのピアノ演奏があった。左手がメロディを歌い、素早く移ったアルペジオがそれを支える。魂に染み込んでくるような音だった。聴衆も息を止めて聴き入り、深い感動がスタジオを包んでいるのが感じられた。もちろん私も。
復帰した舘野さんのために、友人の音楽家らによって左手のピアノ曲が数多く書き下ろされ、現在ではCDを数枚出すほどにレパートリーは増えている。
このことを知って感じたのは、舘野さんだったからこそ、こういう運命に見舞われたのかなぁと。最近流行のスピリチュアル風に言えば「新たなお役目」なのかもしれないと思ったことだった。