冬至に思う

うちの斜め向かいの家が庭木に電飾をつけはじめた。一本裏の通りの家は、遠くからでもかなり目立つ電飾っぷり。ネオンサインのサンタとトナカイがピカピカ、松やイチイは赤青緑に点滅してる。裏の通りだからいいけれど、自分ちの隣や向かいだったら落ち着かないだろうな。近所にこれ以上電飾ファミリーが増えてきたら、さらに北上することも考えなくちゃだ。もし独裁者になれたならクリスマス期間はバテレン禁止令を出したい。ってそれは冗談。

とはいえ12月になると、なんとなくウキウキするのは私も同じ。実は電飾も大好きなんだけど、最近の輝度の高い点滅ライトは都会には似合っても、いずこも同じではちょっと煩く感じる。昔ながらの静かにおっとりと”灯る”感じのライトだったら、北海道の風景に似合う気がするけどな。私の好みは電球は大きめで点滅はなし、少し暗めにぽぅっと灯り、色は子供のクレヨンみたいなレトロなパステル調ならグー。
ヨーロッパのクリスマス風景を撮影した写真集を見ると、むしろ電飾などのヒカリモノは控えめだ。手作りのオーナメントを飾ったり、窓辺に焼き菓子やリースを飾りつけたり、各家庭ごとに手作り感のある素朴な趣向を凝らして、祝日を祝っているように見える。日本ではクリスマスはイベント気味に捉えられているので、電飾にもそれが表われるのかも。もっとも流行のLEDは環境に優しい灯りだから、「輝度高め色鮮やか点滅」も時代を反映した灯りということになるかもしれない。

ところでクリスマスの起源はキリスト教よりも古く、古代の冬至を祝う祭りが元になっている。だいたいキリストが12月25日に生まれたとは聖書のどこにも書いていないので、意味は完全に後付けなのだ。異教徒が祭りを行う冬至のあたりをキリストの生誕祭と定めることで、感化と布教を進める狙いがあったのではないかと言われている。
古代には多くの民族で冬至を祝う習慣があった。太陽を崇拝した古代社会では、夏至のあと日がどんどん短くなっていくのを「太陽が死んでいく」と捉え、冬至は新たに太陽が生まれ変わる日だった。今でも冬至が過ぎるとなんとなくホッとするのは、北半球の人なら一緒じゃないだろうか。
だから毎年日本でもクリスマスに騒ぐのを「クリスチャンでもあるまいし」なんて天邪鬼を言う必要はないわけだ。冬至こそ昔は一年の始まり、再生の日だったのだから、この期間を祝いたくなる気持ちは我々の遺伝子にインプットされてると思えばいい。

さて再生の日である冬至の今日、私は名前を改め「胡舟」になった。諸事情でこぶねという読み方は変えられなかったので、コの字だけ換えた。
胡の字の意味はこちらのページに詳しい。胡椒、胡桃、胡麻、胡瓜など中国では西域から伝わった食物に胡の字をつけている。中央アジア付近にいた異民族を胡と呼んでいたようだ。胡一字で「えびす」とも読むのは、前述の異民族、蛮族、異邦人というような意味が転じたためらしい。えびすは今知られているような神様になる前、元々は海の向こうからやってくる異邦のカミ、漂着するミタマという存在だったと考えられている。(えびすについて)まつろわぬ民をえみし・あらえびす等と呼ぶのも、この語の異邦的性格から転じている。そこからまたえびすは蝦夷の別称ともなっている。

どうですか、私にぴったりでしょう?漂着するモノ、蝦夷、異邦人。
でもまぁ意味は後付けなのは、クリスマスと同じ。太陽が生まれ変わる今日、少し新鮮な気持ちで一歩を踏み出せれば、それだけでよいのだった。
プロフィール

胡舟

Author:胡舟
北海道オホーツクに在住し北の海のクラフトを作っています。

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