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続・盗作事件に思う

(12/28前記事に続く)
ところで最近「なぜ、これがアートなの?」という本を興味深く読んだ。MOMAの著名な講師アメリア・アリナス女史による現代アートの入門書だけど、決してわかりやすい本ではない。考え込んだり後戻りしたりで、読み通すのに日数もかかったし、読了後も完全には理解できていない。内容の説明が難しいので、かわりに前書きから抜粋する。「この本はモダンアートの概論でも、美術史の解説でもありません。…本書が焦点を当てているのは作品そのものです。まず作品について語り、そして私自身が観察したことを述べることで解釈のプロセスを明らかにし、そこからなんらかの意味を引き出す作業に取り組んでみたいと思っています。…決まりきった方法論ではなく、注意深くそして意識を持って作品を鑑賞していくための、いくつかの例をここで紹介したいと思います。」そして作品の図版と対照しつつ、個々についての著者の考えが語られていく。対象になるのは(主に日本国内の)様々な美術館に所蔵されているモダンアート作品で、絵画だけでなく写真や立体、Found Objectsやビデオアート、パフォーマンスアート等も含まれている。
例えばある作品は大きなカンバスが真っ赤に塗りつぶされていて、両端だけが白いラインとして塗り残してある。一見すると「は???」って感じ。何の知識も無く美術館に入ってこの作品を見たら、「カンバスを塗りつぶすことくらい私だってできるよ」と思いそうだ。だけどこの真っ赤なカンバスがなぜ有名美術館所蔵なのか?という一般人の率直な疑問から、著者の説明をなんとか理解しようと読んでいった。著者はこの作品を「神の信託ほどに難解で神秘的な作品」という。そしてじっくり作品を前にしての印象から述べ、抽象芸術のはじまりから時代につれての変遷とその流れを丁寧に追っていき、絵が描かれた背景を考える。アーチストの生い立ちやそこから育まれたと思しい思想を推測し、これらを材料に再び絵を読み解いてゆき、「画家の独特な宗教観とイデオロギーが反映されている」と想像している。
正直な感想としては、アートの専門家でもない私が同じ作品を何時間眺めたとしても、著者と同じ感想にたどり着くのは無理だろうと思った。謹厳なユダヤ人の家庭に育ち生涯をアナーキストとして生きた画家が、ミニマリズムの潮流が”行き着くところまで行き着いた”時代に生み出した絵画。まずそういった理解がなしには、しっかりと鑑賞することは覚束ないように思う。(そもそもミニマリズム自体、それが生まれてきた時代的な認識なしには理解が難しいように思う。)冒頭で「焦点を当てているのは作品そのもの」とあるが、アリナス女史の鑑賞方法は専門家としての深い知識や芸術への理解、そしてアーチストについての豊富な情報に基づいている。
ここで私は思った。私たちが通常美術館などで観るアート作品は、必ず先に誰かが評価したものだ、という当たり前のことを。アートの専門家によって評価され選ばれた作品だけを私たちは鑑賞し、「よくわからないけど美術館にあるのだから、多分優れたアート作品なのだろう」と無意識かつ大雑把に納得している。専門家が道しるべとなり私たちに理解の筋道を示してくれれば、初めて真っ赤な絵にも興味が沸くし、その背景にある時代やムーブメントにも興味が向いたりする。完全に理解できないなりに、なるほどそうやって観るのかと思ったりする。

芸術選奨盗作事件に興味を覚えたのは、以前から疑問に思っていたことが一瞬形になって見えたような気がしたからだった。つまり、美術館にある作品がなぜ選ばれてそこにあるのか、そして選ばれなかった作品はなぜ選ばれなかったのか、ということ。
うーん、説明が難しい。例えば素人目に見て、有名な作品と比べてもあまり違いがわからない作品を見ると、なぜこっちは美術館に展示されないのかな、と思ったりする。ミニマリズムが流行したときにはカンバスを塗り分けたような絵を描いた画家は有名無名を問わず大勢いたはずで、おそらくそれらを並べて見ても、一般人の私には優劣などわからないに違いない。どこで優劣や価値を判断してるの?できることなら専門家なり批評家なりに質問してみたかった。
しかし、事件のお陰で少しだけわかった気がする。つまり作品そのものだけでは、専門家でも”そっくりさん”を見分けられないということだ。(芸術選奨の選考委員は美術の専門家以外の人が半数以上という指摘があったけど、盗作は10年以上前からであり、和田が同賞に推薦されるまでに築いてきた名声には多くの美術界人が与っているに違いないと思われる。)

でも、「なぜ、これがアートなの?」の第二章ではこうも述べられている。「一般的な考えには反するかもしれないが、作品の意味は作者の責任外の問題である。意味は鑑賞されることによって付加されるものなのである。」「”アーティストは何をいいたかったのか”というよりは、”この作品は何を意味するのか”という方がより適切な問いだといえる。作品の技術、オリジナリティがどれほどであろうが、作品にとって重要なのは作者の意図がいかに表現されているかではなく、結果的にどれほど鑑賞者の意図を引き出せるかということなのである。」
…そうすると、日本美術界のお歴々から高い評価を受けてきた和田の絵は、立派なアート作品ということになるのだろうか?
おそらく今度の事件はすべての創作に関わる人たち、特にその専門家に属する人たちにとって、虚を突いた事件だったのかもしれない。プロであれアマであれ自分の内にあるカオスを目に見える形にする行為が創作である、という部分を、多分疑わないで出発点としていたのだ。私はここまで和田の絵を盗作と言い切ってきたしその考えは今も変わらないけど、盗作と考える根拠をはっきり示そうとしても、上の文章を読んだ後はなんだかきっぱり言い切れない気持ちになった。アリナス女史の言葉は生み出された後の作品の定義だと思うけれど、「そもそもアートを創作するとはなんなのか」から考えていかないと、疑問への答えは見つからないかもしれない。
しかし和田の問題では、いわゆる創作関係の著名人からは「盗作とは言い切れない」という意見がいくつか出ていたけれど、一般人の常識的な感覚では「他人の絵をほぼそっくりに丸写ししたら模写でしょ、それを黙って発表したら盗作でしょ」と思うし、現時点で世の中のほとんどの人はそういう意見だと思う。芸術とは社会的なもの・開かれたものであるという大前提で言えば、アートとは何ぞやの迷宮に落ち込んでしまうより、一般常識で断ずるのもありだろう。

…なんだかどこへも着地できないまま堂々巡りをしている気がする。もともとアレが盗作だったかどうかということはどうでも良いので、自分の持っている疑問に、事件を引き合いにして少しでも光明が当てられれば良いと思っていたのだけど。結局疑問はさらに新たな疑問を生んでいくのだった。まぁいいや、こうして考えては書き、疑問を持ったら調べてまた書いて。そうやってほんのちょっとずつでも考えを進めていければ、雑文も少しは我が身の肥やしとなろうというものだ。
プロフィール

胡舟

Author:胡舟
北海道オホーツクに在住し北の海のクラフトを作っています。

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