菜の花
今の時期スーパーに菜花が出ているとつい買ってしまう。さっと湯がくとびっくりするほど鮮やかな緑になる。湯通ししてあんなに美しい色になる菜っ葉は、ちょっと他に思いつかない。おひたしやサラダ、味噌汁に浮かべたりパスタに添えたり何にもで使う。独特の爽やかな香りと、ちょっとぬめりのある食感が大好きだ。
菜の花も大好き。太陽の光を集めたような純黄色は、楽しい気持ちにならずにはいられない。子供の頃は毎年、南房総の菜の花でいち早く春の気分を味わった。房総半島の先っぽ近くに両親が小さな土地を持っていて、休みともなればそこへ行っていたからだ。房総の菜の花は2月はじめにはもう満開になる。フラワーラインに沿って植えられた菜の花越しに、真っ青の海が広がる風景は忘れられない。今でも菜の花というと私は海も一緒に思い浮かぶ。

北海道の菜の花は6月くらいに咲き出し、晩秋くらいまで見ることが出来る。と私はずっと思っていたのだけど、これは勘違いみたい。6-7月くらいに咲いているのは普通の菜の花(アブラナ)だけど、盛夏から晩秋にかけて見られる方は「カラシナ」だ。北海道では「きがらし」と呼ばれている。同じアブラナの仲間だけど、よく見るとアブラナよりも背が低くて花のつき方もややまばら。収穫後の畑に緑肥として蒔かれ、秋に花をつけたあとは畑に鋤き込まれる。北海道ではおなじみのきがらしだけど、紅葉の山を背にした菜の花畑は内地人にはちょっと不思議な光景だ。
ところで埼玉在だった頃、庭に菜の花を作っていたことがある。当時住んでいた借家の庭は南側にアパートが建っていたため、季節によって日当たりに大きな差が出た。関東では菜の花は秋に花壇に直播きする。冬から春にかけては太陽が低いために庭の底まで日が届かない。成長期の苗は頭の上の日光を必死に求めて、春になったときはほとんど私の肩くらいまで伸びていた。それらがいっせいに咲く頃は、太陽はアパートの棟の隙間から差したり、夕方には反対側からさしたり。菜の花たちは太陽を追いかけて横に曲がり、上に伸び、左にねじくれ…哀れ栓抜きみたいな姿になって、でも懸命に咲いていた。朝縁側の戸を開けるとむわっと花の香りがして、庭の一隅が光を放つように輝いていた。菜の花の香りがとても強いことも、僅か数本の花がクマバチや蝶やたくさんの虫を集めることも、その時に知った。
菜の花も大好き。太陽の光を集めたような純黄色は、楽しい気持ちにならずにはいられない。子供の頃は毎年、南房総の菜の花でいち早く春の気分を味わった。房総半島の先っぽ近くに両親が小さな土地を持っていて、休みともなればそこへ行っていたからだ。房総の菜の花は2月はじめにはもう満開になる。フラワーラインに沿って植えられた菜の花越しに、真っ青の海が広がる風景は忘れられない。今でも菜の花というと私は海も一緒に思い浮かぶ。

北海道の菜の花は6月くらいに咲き出し、晩秋くらいまで見ることが出来る。と私はずっと思っていたのだけど、これは勘違いみたい。6-7月くらいに咲いているのは普通の菜の花(アブラナ)だけど、盛夏から晩秋にかけて見られる方は「カラシナ」だ。北海道では「きがらし」と呼ばれている。同じアブラナの仲間だけど、よく見るとアブラナよりも背が低くて花のつき方もややまばら。収穫後の畑に緑肥として蒔かれ、秋に花をつけたあとは畑に鋤き込まれる。北海道ではおなじみのきがらしだけど、紅葉の山を背にした菜の花畑は内地人にはちょっと不思議な光景だ。
ところで埼玉在だった頃、庭に菜の花を作っていたことがある。当時住んでいた借家の庭は南側にアパートが建っていたため、季節によって日当たりに大きな差が出た。関東では菜の花は秋に花壇に直播きする。冬から春にかけては太陽が低いために庭の底まで日が届かない。成長期の苗は頭の上の日光を必死に求めて、春になったときはほとんど私の肩くらいまで伸びていた。それらがいっせいに咲く頃は、太陽はアパートの棟の隙間から差したり、夕方には反対側からさしたり。菜の花たちは太陽を追いかけて横に曲がり、上に伸び、左にねじくれ…哀れ栓抜きみたいな姿になって、でも懸命に咲いていた。朝縁側の戸を開けるとむわっと花の香りがして、庭の一隅が光を放つように輝いていた。菜の花の香りがとても強いことも、僅か数本の花がクマバチや蝶やたくさんの虫を集めることも、その時に知った。