アンモナイトな一日
2年前くらいから行きたかった三笠市立博物館に行ってきた。
アンモナイトがごろごろザクザクあるらしい、とどこかで小耳にはさんで以来「三笠でアンモナイトまみれになってみたい」という夢(もとい妄想)が膨らみ、このGWやっと念願かなって訪問を果たしたわけ。アンモナイトにも会えたけど、三笠の町もちょっと不思議な雰囲気のあるところだった。
早朝出立して昼前に三笠ICに到着。博物館は山の方なので桂沢湖方向に向かう。山道にかかるあたりから妙に古いような懐かしいような雰囲気。なぜかだんだん時間を逆行しているような気がしてきた。こういう光景何かで見たことがあるぞ…と思っていたら、突如山道の脇に『幸福の黄色いハンカチ』の世界が出現。おお、炭鉱住宅!高倉健が倍賞千恵子と住んでて、ラストで黄色いハンカチがヒラヒラしてたアレだ。それも廃屋とかじゃなく子供が遊んでいたり今風の車が停めてあったり、たしかな人の営みがある。本当に映画みたい。なんかえらく感動してしまった。
三笠炭鉱住宅 1 三笠炭鉱住宅 2
弥生地区という現在でも居住者のいる炭鉱住宅だそうだ。廃墟のようになってたり、夕張のように観光名所(「黄色い~」の撮影に使われたのは夕張の炭鉱住宅)として残してあるものじゃなく、現在も使われているのはすごい。北炭幌内炭鉱は平成元年まで稼動していたとその後訪れた市立博物館で知った。気がつけば弥生地区ばかりでなく、博物館へ向かう道路わきの風物がまだ往時の雰囲気を良くとどめていた。炭鉱の町など実際には知らないのになぜか懐かしいのは、昭和の香りがするからだろうか?
さて期待に胸を高鳴らせて博物館へ。展示室に一歩入るなり迎えてくれる巨大アンモナイト人形、さらに進むと直径50センチはあるアンモナイトがごろんごろん、それこそ所狭しと展示してあった。アンモナイトってこんなにでっかかったの!?今までに見つかった世界最大のアンモナイトは、殻の直径がなんと2.5メートルもあるそうだ。嗚呼素敵。多幸感いっぱいになりながら展示を見てまわる。大きいのだけでなく小さいものも多数展示してあって、トゲがあるやつ、ゴツゴツした拳骨みたいなやつ、巻貝のように円錐状になってるやつなど、種類も形状も実に様々だ。北海道は世界的に有名なアンモナイトの産地で、中でももっとも出土が多いのが三笠市だそう。
アンモナイトは貝ではなくて頭足類、つまり蛸やイカの仲間。考えてみるとアンモナイトに似ている貝類って有りそうで無い。巻きの中心に向かって渦潮みたいに陥没していくのは、普通の巻貝と逆。アンモナイトを縦にスパッと切ると中に仕切りが整然と並んでいる。この内部の幾何学的美しさこそ貝類には無い独特のもの。その螺旋は等角螺旋といって、数学的なきっちりしたものであるそうだ。(アンモナイトの螺旋を調べる)アンモナイトの子孫はオウムガイとして今も立派に?生息している。というかオウムガイの方がむしろアンモナイトよりも古いタイプの形態を、現在でもほとんど変わらずに留めているのだそうだ。4億年前から現代までほとんど変わらない生命体。すごい。

アンモナイトに強く惹かれ出したのは、造形をやり出してからかもしれない。ただの木の塊から”オリジナルな形”を削り出そうとすると、どんな単純な形であれ「これでよし」となるまでには全集中力・全感覚総動員になると知った。ちょっとした曲線の微妙な差異で思い描いたものと全く別物になってしまう。「つまれこれが造形ってやつなんだな」と。気づけば自然と”造形的にイケてるもの”に目が向くようになってる。いまや深海生物、甲殻類、古生代生物などに感動しまくりの私。
さてアンモナイトを満喫した後は他の展示へ。三笠とは切っても切れない幌内炭鉱の歴史と生活の展示を観る。当時実際に使用された計測器類、発破装置、ガスカウンターらしきものが、さほど広くない展示室にずらりと並べてある。計器類などは大好きだし触ることも手に取ることもできたけど、異様な迫力というか圧迫感でなぜかカメラを向けるのもためらわれた。横に当時の女性たち(鉱夫の奥さんたち)が真っ黒になってくず炭の入った車を押している様子の写真が貼ってあったり、度々見舞われた坑内事故の歴史年表が壁に張り出してあったからかもしれない。使い込まれた革のケースには真っ黒な炭の粉と汗が染み込んでいるような気がした。夫も(想像力が乏しいわりには)珍しく同じような感想を漏らしてた。実際に目の前にあるブツの迫力は数万の言葉より重い。「歴史は勉強するものじゃない、見て感じるものだ」という若槻千夏の名言を実感したのであった。
二階にはさらに空知集治監の資料室。初期の刑務所の服役囚たちが労働力を補うために採炭や開墾に従事した、その記録。北海道の開拓史はこうした重労働に従事した囚人らの存在(囚人だけではないけれど)抜きには語れないし、それは地元で普通に生活していてもあちこちで記念碑や慰霊碑を目にするので実感できる。そしてそれらの石碑はいつもきれいに掃除されている。開拓の歴史を影で支えてくれた存在に、北海道の人たちは感謝を忘れていないのだと感じる。
北海道の100年、アンモナイトの3億年。途方も無い「時間の流れ」を感じてふっとめまいのような感覚がした。自分がお釈迦様の手の上にいる孫悟空になったみたいな。
ところで三笠行にはもう一つ目的があった。どうしてもマイ・アンモナイトが欲しかったのだ。期待に反して販売されてるアンモはピンなどに加工された小さなものが主流で数も少なかったけど、ともかくも直径6センチのスライスされたものを買ってきた。ネットでいくらでも売ってるのは知ってるけど、産地へ行ってそこで出たモノを自分で選びたかったのよ。よく見ると気室に方解石の結晶が詰まっていて、なかなかきれい。うん、気に入った。しかし底の方に入っていた説明書には「産地イギリス」の文字。…おい。

マイアンモ。
アンモナイトがごろごろザクザクあるらしい、とどこかで小耳にはさんで以来「三笠でアンモナイトまみれになってみたい」という夢(もとい妄想)が膨らみ、このGWやっと念願かなって訪問を果たしたわけ。アンモナイトにも会えたけど、三笠の町もちょっと不思議な雰囲気のあるところだった。
早朝出立して昼前に三笠ICに到着。博物館は山の方なので桂沢湖方向に向かう。山道にかかるあたりから妙に古いような懐かしいような雰囲気。なぜかだんだん時間を逆行しているような気がしてきた。こういう光景何かで見たことがあるぞ…と思っていたら、突如山道の脇に『幸福の黄色いハンカチ』の世界が出現。おお、炭鉱住宅!高倉健が倍賞千恵子と住んでて、ラストで黄色いハンカチがヒラヒラしてたアレだ。それも廃屋とかじゃなく子供が遊んでいたり今風の車が停めてあったり、たしかな人の営みがある。本当に映画みたい。なんかえらく感動してしまった。
三笠炭鉱住宅 1 三笠炭鉱住宅 2
弥生地区という現在でも居住者のいる炭鉱住宅だそうだ。廃墟のようになってたり、夕張のように観光名所(「黄色い~」の撮影に使われたのは夕張の炭鉱住宅)として残してあるものじゃなく、現在も使われているのはすごい。北炭幌内炭鉱は平成元年まで稼動していたとその後訪れた市立博物館で知った。気がつけば弥生地区ばかりでなく、博物館へ向かう道路わきの風物がまだ往時の雰囲気を良くとどめていた。炭鉱の町など実際には知らないのになぜか懐かしいのは、昭和の香りがするからだろうか?
さて期待に胸を高鳴らせて博物館へ。展示室に一歩入るなり迎えてくれる巨大アンモナイト人形、さらに進むと直径50センチはあるアンモナイトがごろんごろん、それこそ所狭しと展示してあった。アンモナイトってこんなにでっかかったの!?今までに見つかった世界最大のアンモナイトは、殻の直径がなんと2.5メートルもあるそうだ。嗚呼素敵。多幸感いっぱいになりながら展示を見てまわる。大きいのだけでなく小さいものも多数展示してあって、トゲがあるやつ、ゴツゴツした拳骨みたいなやつ、巻貝のように円錐状になってるやつなど、種類も形状も実に様々だ。北海道は世界的に有名なアンモナイトの産地で、中でももっとも出土が多いのが三笠市だそう。
アンモナイトは貝ではなくて頭足類、つまり蛸やイカの仲間。考えてみるとアンモナイトに似ている貝類って有りそうで無い。巻きの中心に向かって渦潮みたいに陥没していくのは、普通の巻貝と逆。アンモナイトを縦にスパッと切ると中に仕切りが整然と並んでいる。この内部の幾何学的美しさこそ貝類には無い独特のもの。その螺旋は等角螺旋といって、数学的なきっちりしたものであるそうだ。(アンモナイトの螺旋を調べる)アンモナイトの子孫はオウムガイとして今も立派に?生息している。というかオウムガイの方がむしろアンモナイトよりも古いタイプの形態を、現在でもほとんど変わらずに留めているのだそうだ。4億年前から現代までほとんど変わらない生命体。すごい。

アンモナイトに強く惹かれ出したのは、造形をやり出してからかもしれない。ただの木の塊から”オリジナルな形”を削り出そうとすると、どんな単純な形であれ「これでよし」となるまでには全集中力・全感覚総動員になると知った。ちょっとした曲線の微妙な差異で思い描いたものと全く別物になってしまう。「つまれこれが造形ってやつなんだな」と。気づけば自然と”造形的にイケてるもの”に目が向くようになってる。いまや深海生物、甲殻類、古生代生物などに感動しまくりの私。
さてアンモナイトを満喫した後は他の展示へ。三笠とは切っても切れない幌内炭鉱の歴史と生活の展示を観る。当時実際に使用された計測器類、発破装置、ガスカウンターらしきものが、さほど広くない展示室にずらりと並べてある。計器類などは大好きだし触ることも手に取ることもできたけど、異様な迫力というか圧迫感でなぜかカメラを向けるのもためらわれた。横に当時の女性たち(鉱夫の奥さんたち)が真っ黒になってくず炭の入った車を押している様子の写真が貼ってあったり、度々見舞われた坑内事故の歴史年表が壁に張り出してあったからかもしれない。使い込まれた革のケースには真っ黒な炭の粉と汗が染み込んでいるような気がした。夫も(想像力が乏しいわりには)珍しく同じような感想を漏らしてた。実際に目の前にあるブツの迫力は数万の言葉より重い。「歴史は勉強するものじゃない、見て感じるものだ」という若槻千夏の名言を実感したのであった。
二階にはさらに空知集治監の資料室。初期の刑務所の服役囚たちが労働力を補うために採炭や開墾に従事した、その記録。北海道の開拓史はこうした重労働に従事した囚人らの存在(囚人だけではないけれど)抜きには語れないし、それは地元で普通に生活していてもあちこちで記念碑や慰霊碑を目にするので実感できる。そしてそれらの石碑はいつもきれいに掃除されている。開拓の歴史を影で支えてくれた存在に、北海道の人たちは感謝を忘れていないのだと感じる。
北海道の100年、アンモナイトの3億年。途方も無い「時間の流れ」を感じてふっとめまいのような感覚がした。自分がお釈迦様の手の上にいる孫悟空になったみたいな。
ところで三笠行にはもう一つ目的があった。どうしてもマイ・アンモナイトが欲しかったのだ。期待に反して販売されてるアンモはピンなどに加工された小さなものが主流で数も少なかったけど、ともかくも直径6センチのスライスされたものを買ってきた。ネットでいくらでも売ってるのは知ってるけど、産地へ行ってそこで出たモノを自分で選びたかったのよ。よく見ると気室に方解石の結晶が詰まっていて、なかなかきれい。うん、気に入った。しかし底の方に入っていた説明書には「産地イギリス」の文字。…おい。

マイアンモ。