柏崎
中越沖地震から5日経った。柏崎は夫の出身地、私の第二のふるさと。実家は柏崎港に近い高台にあって二階の窓から港が、振り返れば米山が見える。今回の震源地に近い。80代の夫の両親と100才になるおばあさんの3人世帯。
16日は私たちは朝から遠出していて、夕方帰宅して地震があったことを知った。すぐ電話したけど携帯は全然繋がらず、一般電話の方が一発で繋がった。(後日回線パンク状態だったとドコモの発表。AUに交換を検討中。)その時点では水とガスが出なくて、電気は使用可家は壊れてないということだった。夫が話したけど極楽蜻蛉なので「大丈夫心配ない」といわれて「そうなの良かった」くらいで切ってしまった。バカヤロー親は大丈夫って言うに決まってるじゃん!これだから末っ子はダメなのよと文句を言った。どうしても心配だったので、二度目の電話で変わってもらってすごく久しぶりに義父と話した。義父と私はお互い大好きなんだけれども、話すときは照れてつい改まってしまうみたいな関係で、久しぶりに話したら話せること自体が嬉しくて父は笑いながら嬉しそうにしゃべっていた。こんなに喜んでくれるならもっと電話しておけば良かったと思った。
電話とメールでの話をまとめると。水は2日経って出たものの、ガスは現在も止まったままでしばらく復旧しないらしい。(家が水源地に近いため「いの一番に復旧してくれてありがたい、他の地域はまだでないところが多い」とのこと。)
父の家は数年前に建て替えたので幸い建物の被害はなかったが、「壊れてなくて申し訳ないくらい」周辺は酷い状態だそうだ。物が散乱した道路を自衛隊、救援隊、ボランティア、報道、警察などの車の列が際限なく続き「テレビでしか見たことのない自衛隊員の姿やものものしい戦場のような車がつづき戦争が始まったようです。そこへ警視庁の車が十数台その他東京ナンバーの消防車など全国からの救急車や救援隊の車でパニックです。(義母談)」至る所で渋滞し、物がある無し以前に”買い物に行く・配給を受ける”など住民の移動自体が困難らしい。
水が無くてさぞ困ったろうと思ったら、おばあさんが「冬の水が美味しい」とかでペットボトルに汲み置きしたのを床下に何本も蓄えていたのが役に立ったと言う。それと震災翌日が雨になり、父の家は新しいので雨どいは直接地面に埋め込まれてるタイプだけど、隣家にある古い空き家のトタン屋根から雨水が流れるのを、バケツで溜めてトイレなどに使ったそうだ。「おばあちゃんのガラクタと、隣のボロ家に助けられた」と笑っていた。料理は電気コンロとレンジで出来ているとのこと。「皆さんに申し訳ないですが家の中は信じられないくらい静か(母のメール)」皆さんに申し訳ない…というのが真面目な父母らしい。
私も被害にあった皆さんに申し訳ないけれど、父母とその家が無事でともかく良かった、というのが正直な気持ち。遠くで何一つ役に立てないのがもどかしい。毎日ニュースで見るたびに何かしてあげたいと思わずにいられない、そんな感心な人間ではないくせに。TVで写る柏崎の人たちの面影が、皆どことなく両親や夫に似ているせいだろうか。見知った場所や新潟弁や懐かしいあれこれを思いがけず毎日ニュースで見て、泣きそうになってしまう。何年も帰ってなくてごめんなさい。本当は帰りたい心から。
何か要るものがあれば送りたいけれど、こういうとき慌てて物を送ってさらに輸送路を混雑させるようなことは控えるべき。切ないけど今は連絡をとりあいながら様子を見ることにしている。あとは救援募金。
日赤義捐金募集
イーバンク義捐金(手数料がかからないで便利)
何よりもやはり水に困るというのはよく分かった。北海道も地震は多い。水の汲み置きうちでもすることにしよう。
16日は私たちは朝から遠出していて、夕方帰宅して地震があったことを知った。すぐ電話したけど携帯は全然繋がらず、一般電話の方が一発で繋がった。(後日回線パンク状態だったとドコモの発表。AUに交換を検討中。)その時点では水とガスが出なくて、電気は使用可家は壊れてないということだった。夫が話したけど極楽蜻蛉なので「大丈夫心配ない」といわれて「そうなの良かった」くらいで切ってしまった。バカヤロー親は大丈夫って言うに決まってるじゃん!これだから末っ子はダメなのよと文句を言った。どうしても心配だったので、二度目の電話で変わってもらってすごく久しぶりに義父と話した。義父と私はお互い大好きなんだけれども、話すときは照れてつい改まってしまうみたいな関係で、久しぶりに話したら話せること自体が嬉しくて父は笑いながら嬉しそうにしゃべっていた。こんなに喜んでくれるならもっと電話しておけば良かったと思った。
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父の家は数年前に建て替えたので幸い建物の被害はなかったが、「壊れてなくて申し訳ないくらい」周辺は酷い状態だそうだ。物が散乱した道路を自衛隊、救援隊、ボランティア、報道、警察などの車の列が際限なく続き「テレビでしか見たことのない自衛隊員の姿やものものしい戦場のような車がつづき戦争が始まったようです。そこへ警視庁の車が十数台その他東京ナンバーの消防車など全国からの救急車や救援隊の車でパニックです。(義母談)」至る所で渋滞し、物がある無し以前に”買い物に行く・配給を受ける”など住民の移動自体が困難らしい。
水が無くてさぞ困ったろうと思ったら、おばあさんが「冬の水が美味しい」とかでペットボトルに汲み置きしたのを床下に何本も蓄えていたのが役に立ったと言う。それと震災翌日が雨になり、父の家は新しいので雨どいは直接地面に埋め込まれてるタイプだけど、隣家にある古い空き家のトタン屋根から雨水が流れるのを、バケツで溜めてトイレなどに使ったそうだ。「おばあちゃんのガラクタと、隣のボロ家に助けられた」と笑っていた。料理は電気コンロとレンジで出来ているとのこと。「皆さんに申し訳ないですが家の中は信じられないくらい静か(母のメール)」皆さんに申し訳ない…というのが真面目な父母らしい。
私も被害にあった皆さんに申し訳ないけれど、父母とその家が無事でともかく良かった、というのが正直な気持ち。遠くで何一つ役に立てないのがもどかしい。毎日ニュースで見るたびに何かしてあげたいと思わずにいられない、そんな感心な人間ではないくせに。TVで写る柏崎の人たちの面影が、皆どことなく両親や夫に似ているせいだろうか。見知った場所や新潟弁や懐かしいあれこれを思いがけず毎日ニュースで見て、泣きそうになってしまう。何年も帰ってなくてごめんなさい。本当は帰りたい心から。
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何よりもやはり水に困るというのはよく分かった。北海道も地震は多い。水の汲み置きうちでもすることにしよう。