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島尾敏雄の「夢日記」「記夢志」、つげ義春の夢日記とか、夢を記した文章を読むのが好きだ。作家の見る夢ってやはりイメージ豊かだと思うし、ストーリーとまでいえないでも、なんとなく展開らしきものがあるのも面白い。
自分の見た夢を克明に記録できたり、夢の続きを見ることができたり、逢いたい人に自由に逢えたり、空を飛んだり動物になったりとファンタジックでストーリー性豊かな夢を見たり。そういう人の話を聞くととても羨ましい。私の見る夢はまったく散文的というかまとまりがないというか、場面の羅列だけみたい感じなのだ。ストーリーらしきものはほとんど無い気がする。例えば知らない土地へ行く列車に乗っていて、窓の外に次々と現れては流れていく風景を見ているみたいな感じ。自分の夢に自分が参加しているという感覚が希薄。このことに気づいてから、夢に対して寂しさというか、かすかな空虚さを感じるようになった。常に傍観者、まさに我が人生がそうだけど、夢の中でまでそうなのかと思って。寝つきが悪く深い眠りになかなか入れない体質が関係してるのかもしれないけど。どうせなら夢は実人生の補完であればどんなにいいだろう。好きな夢を見られる薬が出来たらいいのにと本気で考えているのだけど、だれか研究開発してくれないだろうか?…
それから、知っている人や場所が出てきても、夢の中のそれらは現実と似ても似つかないものだったりする。これは私だけではないのだろうか?よく近しい人がなくなって夢で逢えたなどと聞くと、それは生きていた時と変わりないその人だったのかどうか、聞いてみたい気がする。私は例えばクマの夢を見られたとしても(それはたいがいほんの一瞬なのだけど)クマとはだいぶ様子の違った猫で、ただ夢の中でクマだと思っているに過ぎないらしい。目が覚めた後でクマに逢えた気がして嬉しい反面、食い違ったような気分が残る。「ズバリ現実と違わないもの」はかつて夢で見ることが出来たことが無い気がするけど、覚えていないだけなのだろうか。
スピリチュアリズムとかが盛んな昨今、夢についても盛んにいろいろ言われてる。自分にとって有益な夢を見るためにはどうすればよいかとか、その方法やらがあれこれと。そういう本を読んでみたりもしたけど、夢のために環境や心や体調を整えたりなんて勘弁と思った。疲れて倒れるように横になったり呑んだくれて横になっても、眠りはつかの間現実から逃避できる、体も精神も重力から開放される時間。その時間まであくせくコントロールを試みたくはない。街の喧騒を逃れて入った小さな劇場で、どんなプログラムが上映されるのかわからないけれど席に着いてゆったりと待つみたいでいたい。そんな時夢は彼方から訪れてきて欲しいのだ。私の意識の及ばない世界から。
プロフィール

胡舟

Author:胡舟
北海道オホーツクに在住し北の海のクラフトを作っています。

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