記憶の固執


「記憶の固執 Persistance de la memoire」または「柔らかい時計」
1931年/サルバドール・ダリ

何歳だったのか記憶が定かでないけど、ブリタニカ百科事典全10巻だか20巻だかを、父が会社から持って帰ってきた。翌日からきれいな画像と様々な珍しい記事を夢中で眺めたものだが、子供なりに大ショックを受けたのがこの「記憶の固執」だった。「こんな絵があっていいの!?」という驚きだった。それまでちゃんとした画家はきれいな景色や花や人物を上手に描くものだと漠然と思っていたのが、生まれて初めて超自然主義(シュールレアリズム)を知ったのだ。絵と並んでダリのアイデアで撮ったという、一画面中に宙に飛び上がるダリ自身と、空中に流れる水が写っているシュールな写真もあった。
率直な感想は「まるで子供みたいな絵だな」だった。子供みたいに自由な発想、なんでもありでいいんだ。絵を描くのが好きだった私は目からウロコというか、目の前がパッと開けた気分だった。何度もそのページばかり見た。何度見ても、横たわる生き物らしい物体の正体がわからない。まつげがあるんだけど目が無い…?見れば見るほど不思議な感覚を誘われる。有名な画家らしいサルバドール・ダリという名前を覚えこんだ。

しかしダリの印象を決定付けたのは母の言葉だった。とりあえず身近な大人に訊いてみようと母に「ダリって知ってる?」と訊いた時の驚くべき答えはこうだ。
「知ってるわよ。頭が変になって『私はカタツムリ』といいながら、一日中部屋の中でくねってるんですって」。「!!!」
今でこそ思い込みの強い母の言など話半分以下に聞くのだが、子供だったから強烈だった。その光景を想像して、なーるほどなぁと妙に感心したりした。その後成長してダリについてやや詳しく知るようになると、頭が変ではないしカタツムリのエピソードなど出てこなかった。母よ、どこからこのみょうちくりんな話が頭に入り込んだのですか?
だがしかし、母の話から想像していたダリの印象は、詳しく知るようになっても不思議なことにあまり変化しなかった。

後年になって「記憶の固執」の実物をMOMA(ニューヨーク近代美術館)で観た。想像していたよりもずっと小さな絵だったので驚いた。ブリタニカで見た図版からは、果てしない広がりを思わせる空間を感じていたから。MOMAに「燃えるキリン」もあったけど、やはり小さかった。ダリの最高傑作群が生まれたといわれる1920-30年代の作品は総じて小さい。

ダリからはじまり後にシュールレアリスム絵画全般に親しむようになって、キリコ・エルンスト・デルヴォーなどどれも魅了された。ダリ展も何度か観にいってダリの芸術全体が好きになったけど、やはり記憶の固執が今でも一番好きだ。この絵を見ると子供の私が初めて感じた脅威の念を思い出す。まさに私の記憶に固執してしまったわけだ。
プロフィール

胡舟

Author:胡舟
北海道オホーツクに在住し北の海のクラフトを作っています。

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